宇宙は愛で出来ていた③

宇宙は愛で出来ていたシリーズ(その①その②)、その②で完結したかと思いきや、補足で書きたいことが出てきたのでその③として続きを書きます。

宇宙とは人間とは何ぞや?という問いに対する答えとして、《フラワーオブライフや神聖幾何学を参考に、宇宙や人間を含むすべてのものは円形の循環するエネルギーであるとして、その中心部には愛があり、愛とはわたしもあなたも宇宙もすべてはひとつであるという意識、状態である》ということが自分なりの現時点での答えだと書きました。

これまた以前の記事でも書きましたが(こちら→常識は常識ではなかった)、量子学の世界では、「宇宙の空間すべては量子と呼ばれる振動する波(周波数)で満たされていて、人間の意識が介入した時に初めてそれは人間の目に見える粒となる」と科学的に証明されているということですが、ではその人間自体はどうやって創られたのかを考えると、そこに人間の意識以外の超意識が存在すると仮定しなければ辻褄が合わないそうです。

 この超意識の呼び方を、神というのかサムシンググレートというのか万物創造の意識というのかゼロポイントフィールドというのか、呼び方はともかく、そんな超意識が宇宙の真ん中にはあり、そしてそれは人間一人一人の真ん中の意識と繋がっているんだと思います。

そんなには詳しくはないのですが、2008年頃に本を読みこれからの変化の時代にきっと重要な内容が書かれてあるんじゃないかと直感で感じた日月神事というものがあり(一部の人の間では有名です)、その中で繰り返し大切だと言われている「◯に・」に関する記述があり、これは上記のことを言っているのではないかと自分なりに推測しています。

日月神事 第一二帖(一四九)

この道で魂入れてくれよ。この道は・ぞ。◯の中に・入れてくれと申してあろうが。臣民も世界中の臣民も国々も皆同じことぞ。・入れてくれよ。◯を掃除しておらぬと、・入らんぞ。今度の戦は、◯の掃除ぞと申してあろうがな。祭りとは纏り合わすことと申してあろうがな。この道は教えではないと言ってあろうが。教会や他の集いではないと申してあろうがな。人集めてくれるなと申してあろうがな。世界の臣民、皆信者と申してあろうが。この道は、道なき道。時なき道ぞ。光ぞ。この道で皆生き返るのだぞ。

循環する◯の中心には愛という万物創造の神の意識(点、天意)があり、自分の中心にいるとすべてはひとつであるというそういう万物創造の意識と繋がれるけれど、自分の中心から離れてしまうと、わたしとあなたは別物、わたしと宇宙は別物という分離意識になってしまう。分離意識の状態だと、自分と他の区別比較が始まり、嫉妬、勝ち負け、優劣、上下、競争、不足、不満、恐怖、恐れという意識に支配されていまいます。だから、日月神事ではこのことがもっとも重要ですよと言われているのではないかと。

…まだまだ書き足りないことがあるので、宇宙は愛で出来ていたシリーズその④に続けることにします、笑。