今から約6年半前、2014年3月に当時自分がリアカーで日本一周の旅をしていた時、熊野古道のある紀伊半島南部の地、熊野でメイドイン熊野の衣食住量り売りのお店「木花堂」をやっていた女性と出逢い(出逢った場所は日本最古の神社と言われている花の窟“はなのいわや”神社の前で、社殿はなく大きな巨岩が御神体でイザナミノミコトのお墓と言われている神社)、出逢ってから一週間後に即結婚することになった女性が現在の奥さんのサキエちゃんです。《現在、マサーヤン&サキエという音楽ユニットやってます。→YouTubeチャンネル》
この出逢ってから一週間というまさに電撃婚ですが、まるでマンガかドラマのようなことが実際に起こるんだなと当の自分達でもびっくり仰天する出来事だったんですが、お店のお客さんや友達やリアルで会ってる人には詳しい話はするんですが、ブログなどの公の場で結婚に至る出逢いのことを書いたのは実は初めてかもしれません。
出逢ってから結婚を決めるまでのお互いのそこに至るまでのいろんな伏線のストーリーがあって、大嵐が起きたり携帯電話が壊れたりと結婚を決めるまでは旅を先に進めることが全然できなくて(結婚を決めたら先に進めた)、この時の出来事は自分達の意思だけではなく何かの大いなる力が働いたとしか思えなくて、自分で言うのもなんですがこの時の出来事を一冊の本か映画かドラマにするならば、とても面白い物語になるのではないかと(笑)。
まあその出逢いの詳しいストーリーはいつか氣が向いたら何かにまとめることがあるかもしれませんが、とにかく結婚してから約三年間は熊野の地で暮らしていました(奥さんは神奈川出身。お父さんとお祖父さんの故郷が熊野で、お祖父さんの熊野の家で13年間暮らしていた)。
そして熊野と言えば感受性の強い敏感な人なら訪れると分かるその土地の持つパワー。実際パワースポットと呼ばれる磐座や巨木があちこちにたくさんあり、そこまで敏感ではない自分でもそのエネルギーをいつも感じていました。
なんて言うか、古代からの縄文エネルギーをとても感じるのです。その頃から『縄文』というキーワードが自分の中にはずっとありまして。
奥さんと出逢ったのは花の窟神社ですが、同じく社殿のないこれまた巨大な磐座が御神体の丹倉(あかくら)神社という神社が熊野市の山奥にあり(ここで結婚式を挙げました)、この神社が自分達の出逢いから結婚に至るまでの鍵となる重要な場所であり、今でも自分達の心の奥底にはいつもある場所です。
まあとにかく熊野と言えば『縄文』というように、実際、熊野に住んでいる人の間では縄文時代にその土地を治めていたという女性「丹敷戸畔(ニシキトベ)」さんの話が知られており(日本書紀の中では神武天皇の東征の折に殺されてしまう)、先日なんだか氣になって「ニシキトベ」というキーワードで検索をしてみました(ずっと特定の一人物の名前を指すのだと思ってましたが実は30歳以上の子育て経験のある女性がつく役職の名なんだそうで)、そうすると3年前の2017年に『ニシキトベの復活』という本がナチュラルスピリット社から出版されていることを知り、今までは熊野に住むごく一部の人の間でしか知られていなかったニシキトベさんでしたが、今まで隠されていた封印されてきた『縄文』の世界がいよいよと表舞台へと出て来ているのだなということを実感しました。
前々回のブログ記事でご紹介した澤野さんの情報でも言われてましたが、いよいよこれから新しい時代、新しい世界が開けていくにあたり、今までの間違っていた私たち達の『縄文』というものについての正しい再認識がこれから不可欠なのではないかと感じています。
『縄文』について自分の思うことを書き始めようとしたら、結婚の話まで持ち出し前置きが長くなってしまったので、続きはまた次回に。