今回の人生で、生まれる前に決めてきた自分の軸は何だったのかが分かった話。

昨年2019年3月のことです。その年の5月4日に二人目の子どもの出産予定日だった奥さんと一人目の娘と三人で自分の両親が現在住んでいる下関市の実家で突然暮らし始めました。

なぜ暮らし始めたのかというと、二人目の子は病院ではなく助産院で産みたくて山口県内では山口市のほうに唯一の助産院があり、現在住んでいる長門市の向津具半島の家からだと高速に乗って車で片道1時間半の距離で、その頃2週間に1回妊婦検診のため山口市に通っていたのですが、出産予定日の約2ヶ月前の3月中旬の検診で切迫早産の可能性があることが分かり、入院をするか設備の揃った大病院近くの家で安静にするかの選択を迫られ、それで大病院が近くにある下関の実家でしばらく暮らすことにしたからなんです。

奥さんは絶対安静でずっと布団に横たわっていないといけないし、お腹の張りが強くなり産気が発生したらすぐに車に乗せて病院に連れて行かないといけないし、車の運転が出来る人間は自分しかいないので、自分も強制的に実家にずっとステイしていなければならない状態になりました。向津具の家にステイするのならば畑仕事や山仕事などやることはたくさんあるし時間を持て余すこともないんですが、下関の実家は町中にあり周りは民家で畑仕事も山仕事も出来る環境ではなく、家族全員の三食を作ることと娘の子守りをすること以外は特にやることもなく時間がたくさんある状況でした。まさに世の中でコロナが起きる前年から一足先にステイホーム体験をすることが出来たのです。

きっと今年コロナでステイホーム中に同じような境遇になった人がたくさんいるのかもしれませんが、自分もそのステイホームの時間はゆっくりと考え事や自分の内とじっくり向き合う時間になりまして、その時に「自分はいったい…何がしたかったんだっけ?」と自分の内を改めてゆっくりと見つめ直してみたんです。

マサーヤンのプロフィールページにも書いてますが、20歳の時にアコースティックギターを手にしてからすぐにオリジナルソングが出来て(自分には才能があると勘違いして?)大学卒業後プロを目指し東京に上京してアルバイトをしながら音楽活動をずっとやってた20代。その後30歳を境にアルバイト生活から脱却するためにフリーランスの自営業者として独立しました(自分の手で飯をきちんと食べられるようになるまでも紆余曲折はありましたが)。

音楽でメジャーレコード会社と契約しようとプロを目指したけど現実の壁に打ち当たりプロにはなれなくて挫折を味わった20代。でも自分の作った歌をどうしてもCDという形にしたくて37歳の時に念願のオリジナルCDを自費で製作しました(CDタイトルはNou life music”農ライフミュージック”)。そうすると今度はその歌をいろんな人に届けたくなってCDをリアカーに積み込み東京から沖縄まで旅をしたのが2009年。

今の世の中でポピュラーミュージックと呼ばれるものは主に西洋音楽をベースにしたものがほとんどで、もちろん自分がやってる音楽もその範疇に含まれるのですが、そこには楽譜という一つの正解があります。いわゆる上手いか下手か、楽譜通りに歌えているか演奏できているか、それは世界中の誰でもがジャッジができる世界です。そういう意味で言うと、子どもの頃からピアノを習っていたわけでもなく、学校の音楽の成績が特に良かったわけでもなく、音楽関係の部活をやっていたわけでもなかった自分には音楽的な才能はないと思ってたんです。

だからプロを目指し音楽活動をやってた20代の頃、レコード会社にデモテープを送ったりオーディションに応募したりする中で、自分でも薄々氣づいているわけですが、やはり周りの人やいろんな人から現実的な厳しい意見を言われるんです。

でも、なぜなのか分からないけど、自分で歌を作りその歌を自分で歌うことが昔からずっとやりたくて、そんな自分の心の奥底にある氣持ちから目を背けること、裏切ることができなくて、今までずっと音楽をやり続けて来たというわけです。

そして昨年の自分の内を見つめ直していたステイホーム期間の間に、時間がたくさんあるものだから久しぶりにオリジナル曲を書いてみようと思い立ったんです。奥さんが出産予定だった下関の総合病院の待合室でボーっと窓の外の景色を眺めながら、これから産まれてくる子どものことと、自分が昔からやりたかったことと、新しい曲のことをずっと考えていました。そのときに降りて来たんです。新しい曲の歌詞と、なぜ自分が音楽的才能はないと氣付きながらも昔から音楽をやり続けてきたのか、その本当の理由が。

今年に入りブログを久々に再開しいろいろと書いてますが、「人生とは?宇宙とは?この世の真実とは?」そういう根源的なことを思春期の頃から考えることが好きで、今ではそれは半分趣味みたいなものだと思っていると書いたことがありますが、それが正に今回の人生の自分の中心を貫くことだと氣づいたんです(なぜ根源的なことが知りたいのか、それを突き詰めるともっと深いところに行き着きますが、その話はまたおいおい)。

答えの分からない根源的なことを考え悩み続け、いろいろな人生経験を重ねたある日にふとその答えに氣付く、そんな瞬間が今までの人生の中で何度かありました。その瞬間の興奮と感動を味わいたくて今まで生きてきた節があります。そして次にはその自分なりの氣付きを誰かに伝えたくなります。自分にとってはその伝える手段、道具として、音楽というものがあったんだと氣づいたんです。伝える手段は音楽だけじゃなく、文章でもいいしアートでもいいし映像でもいいし講演でもいいし何でもいいいんですが、自分の場合は自分で作った歌に言霊をのせて自分の声で歌う、これが長い間、音楽をやり続けてきた理由だったのかとやっと氣づくことが出来たんです。

ただ昔の若い頃は、自分の中にある満たしきれない心の隙間があったので、それを埋めるために有名になりたいとか、すごい人だと思われたいとか、自分の歌で人を変えようとか思っていたところもあるのですが、自分の作った歌を歌うと言っても、あくまでも自分なりの氣付きを周りの人にシェアするというスタンスです(ブログも一緒)。

初めてアコースティックギターを手にした20歳の頃、プロを目指して音楽活動をやり始めた頃、普通は音楽でプロを目指そうとするなら、まず楽器の練習や歌の練習など音楽の技術を高めることをやると思いますが、自分の場合は音楽でプロを目指そうと思った直後に詩集や文学書や哲学書を読み始めることをしました。そんなんだから、いつまで経ってもギターも歌も上手くなりません、笑。自分が好きだったアーティストは歌詞の世界が深い人達ばかりで、どんなに演奏力が凄くてもメロディーがどんなに素晴らしくても、歌詞の世界が深くないアーティストは自分は好きになれなかったんです。音楽でプロになろうと思ったのになぜ自分は本を読み始めたのか、そんなところにも理由があると思います。

昨年、息子が産まれるタイミングでやっぱり自分の軸は音楽だったんだと氣づき(音楽だけれど厳密には音楽ではない)、そうすると今までどうして世の中は世間は自分の音楽を認めてくれないんだろうと不満があったし、やっぱり才能がないんだなと、半分ふて腐れていたのですが、昨年からは今までは100%認められていなかった自分の音楽が大好きになりまして、相変わらず技術的には上手いとは思えないけど、長年やってる間に音楽として人に伝えるための最低限の音楽的技術はそこそこ付いてきてるじゃないか、と自分でも思えるようになったし、まあようするに長い年月を経てようやく自分で自分を認められるようになったんです。今なら自信を持って言えます『自分が自分の音楽の一番のファンです。』と、笑。

今回のブログ記事で、「自分の軸が何だったのかが分かった話」として長年音楽とはこうあるべきだと自分で自分を縛りつけていた自分の例を持ち出して書かせてもらったのは、もしこのブログを読まれてる方で、世の中の常識やこうあるべきという観念に縛られて自分を見失っている人がいるのならば、何かの参考になればと思い書かせてもらいました。