昨年の春に30年考えて来た問いの答えと一緒に降りてきた歌。

前回のブログ記事で、昨年春に息子が産まれて来てくれたタイミングで、自分の軸はやっぱり音楽だったんだという氣付きと新しい歌の歌詞が降りてきたと書きましたが、今年に入りこのブログで何度も書いている、自分が思春期の頃から長年考えてきた「宇宙ってどうなってるの?」という根源的な問いに対する自分なりの答えが降りて来たのも、この同じタイミングでした。

二年前の冬ごろからフラワーオブライフとか神聖幾何学というものが突然氣になり始め、自分なりに調べたり神聖幾何学の立体造形を綿棒で作ったりしていたのですが、フラワーオブライフからのその流れが昨年の春の自分なりの答えの発見へと繋がっていきました。宇宙とは『中心を抱きながら円形に循環をしているエネルギー』であり、銀河系も太陽系も地球も人間も動物も植物も微生物も、すべては『中心を抱きながら円形に循環をしているエネルギー』である、という答えに。

「すべては一つである。すべては繋がっている。宇宙はすべてがフラクタル(相似形)である。すべては循環している。」という宇宙の法則と言われていることを、それまでは理屈でなんとなく理解していたのが、綿棒で立体造形を作っている時に《宇宙とは中心を抱きながら円形に循環をしているエネルギーだ》とイメージで理解することが出来たのです。

でも果たしてその答えが本当か嘘かそれを証明できるものは何もないのですが、あえて証明するとするなら、同じようなことを言ってる人がいるということと、それに氣付いた時の自分なりの感覚、思考レベルで理解したという次元を超えた魂の奥底が震えるような感覚があったから、とでも言うしかありません。

そしてすぐにでもそのことを誰かに伝えたくなってブログを書こうと思ったんですが、自分のブログに書いたからと言って特に世の中に影響力があるわけでもないのに、なぜか今は書かないほうがいいと直感的に感じその時は書きませんでした。

タイミングをみて自分の直感の声を聴いて、勇気を出しながら『宇宙は愛で出来ていた』と題してブログ記事を書いたのは今年2020年の夏のこと(そんなに世の中に影響力がないブログとは言え、このタイミングで良かったと今では思います)。

その自分なりの宇宙に対するイメージや感覚と言葉が降りてきて昨年春に「うちゅうのはな」という歌が出来ました。ライブでは何回か歌ったことのある曲でYouTubeにはアップしてないですが、現在制作中で今度発売するCDアルバムのタイトルにする予定です。

歌詞だけ先に公開します。この歌詞が平仮名なのも実は理由があって、前回のブログ記事と今回の内容はこれから書こうと思ってる「縄文」の話へと繋がっていきます。

「うちゅうのはな」

まわりてめぐる うちゅうのなかにさくたいりんのはな

まなかにある ひとつのあいすべてのひかり

一二三四五六七八九十

いまここいるひと きづくまのこと

まわるわのなか ひかるまんなか

てらすまわり つながるひかり

つながるいのち つなぐいのち

ひとふたみよいつ むななやここのと あおうえい

いわおとなりひびく ひがたつおとなりひびく

ひふうみよいずる あまのなかのいわどひらく

一二三四五六七八九十

おにもふくも おなじわのなか

まものまことも まわるわのなか

いちからわかれ ひろがりやがて

ほうわしみつる またいちへとかえる

いろかたち ひかりおとなみ はなひらき

まわりてめぐる うちゅうのなかにさくたいりんのはな

まなかにある ひとつのあいすべてのひかり

一二三四五六七八九十