『縄文』についての正しい再認識④

…前々回紹介した本の感想の続きです。

完全調和社会の縄文時代が何万年もの長きに渡り続いた秘密の一つに、縄文時代には住む家も集落全体も一人一人の人間も、すべてが宇宙のエネルギー構造と同じ真ん中にHI(火、陽、霊)を抱き円形に循環するトーラス構造(統一場空間)を保っていた、それが宇宙や自然、人と人、すべての万物と完全調和する方法だと理屈ではなく感覚で縄文人は分かっていたから、ということが本を読むと理解できます。

人間一人一人が一つの小さな宇宙であり中心を抱いた円形のエネルギー構造を意識して毎日を暮らすことが大切だと以前から自分も考えていたし、このブログでも「中心軸を意識して毎日をワクワク過ごす方法」と題してブログ記事を書いたこともありますが、毎日暮らす住居も集落社会全体も宇宙と同じエネルギー構造だったのか…そりぁ〜家の中にいても外に出ても宇宙の中にいるのだから、その中で暮らす人間自体も自然と整うはずだ…と衝撃を受けました。

あと、なるほどな、そうだったのかと思ったこと。それは縄文という名前の由来になった縄文土器の秘密。縄文土器には縄の紋様が記されていますが、これは土器の周りに縄を巻き付けて火で焼いていたからだそうです。なぜ巻き付けるかと言うと、土器自体が一つの子宮空間(宇宙)でありその中に食べ物を入れますが、これは以前このブログで書いたことのあるエネルギーを高める(集める)ことと通じる考え方です。自分が最近なんとなく考えていたことがここでも繋がったか…と嬉しかったです。縄文時代、縄をなうのは主に女性の仕事だったそうで、依りをかけ右回転と左回転の縄を合わせることで空間にあるエネルギーを集め土器の中の食べ物のエネルギーを高めていたのではないかと。現代の日本の社会にもこのような縄文の叡智は意味は変わってますが、でも形としてはいろいろと残っていて、御神木に巻く中連縄や神社のしめ縄もそうで、個人的推測ですが玄関先に飾るお正月のしめ縄飾りも同じことではないかと。真ん中にみかんを付けますが、これは太陽(火、霊)の象徴ではないかと。なんかいろいろなことがすべて繋がっていくので、面白いです。

あと、これも自分なりに昔から考えていたことと重なる内容が書かれてありました。それは、日本語というものが宇宙のエネルギーそのものを現す言葉だということ。いや、縄文の人達(この本の中で)がフォース言語と呼んでいる宇宙自体への共鳴から生まれる言葉(響き)が、日本語のあいうえおの中に現代でも残っていると言ったほうがいいかもしれません。

本の中で、MA、HA、HI、HIKI、HARI、HAREといったものがフォース言語として登場します。(日本語の持つ力については、自分なりの考え方をまたいつかブログに書きたいと思います)

そして最後に、この本を読んで個人的には一番衝撃を受けたことがあり、それは何かと言うと「人間の思考や心は原因ではなく、結果である。」と縄文人の長老が語っていることです。現代人は平和的な社会を築くために、人と喧嘩をしないで仲良くするために、ルールや規則や制度を作り、子どもへの躾や教育、自らの理性や心を磨いたりといろいろとやっていますが、それでも争い事や不調和な事は今も絶えません。けれど縄文時代には社会の調和を目的としたルールも規則も法律も宗教も教育も躾も心の修行も何もない、縄文人がやることは宇宙と同じ統一場空間を保つだけ。人と人、宇宙や自然との完全調和はその結果に過ぎないのだと。

人と人とのコミュニケーションに関してもひと言ふた言、軽く言葉をかわすだけで十分で、余計な会話も愛想笑いも社交辞令も必要ないそうです。なぜなら、もうすでに深いところで繋がっていることを知っているので、現代人のような、まずは孤独が前提としてある相手への無駄な詮索や自己顕示や余分なコミュニケーションは必要ないと。

個人的に過去のことを振り返ってみると、昔から特に2003年頃から、それまでのどうしようもない自分を変えるために自己啓発書やスピリチュアル系の本を読みまくり、心を磨く、魂を磨くということをやってきたつもりです。思考は現実化すると信じていたし、目の前の現実(結果)をつくりだす原因は自らの心にあると思っていたので。このことに関して本の中で長老はこう語ります。

「あなた方の世界では、愛は時に相手や自身を束縛し、自由に生きたいと求める心は、人との愛の関係を失わせる。自身の求めと周囲との関係性が矛盾し合っている。あなた方はそれを心の問題だと思っているが、我々の目には心もまた結果なのだ。その矛盾の本質は心にあるのではない。それこそが非子宮空間による枷(かせ)なのだ」

「HARI(フォース)空間が形成されない限り、存在は相対力に縛られる。心もまた相対力に縛られるのだ」

「たしかに思念は大きな力をもつ。だが、それは現象界の力だ。そのひとり歩きにより、あなた方は光を失っている。(中略)思考の分散状態は、あらゆる次元の統一性を損う。それは肉体に刻まれ、一定期間続くと、様々な分裂感情を引き起こさせるようになる。この段階では、心が心をコントロールすることが難しくなる。
あなた方はその状態が通常であるため、人間とはそのような存在であると思っている。しかし、人間とは、決してそのような存在ではないのだ」

…次回に続きます。

『縄文』についての正しい再認識③

昔、東京に住んでいてよく本を読んでいた頃は、本屋さんに入って少しでも氣になる本があればすぐに買って読むということをしてましたが、最近では余程のことがない限り本を買うことをしなくなりました。前回紹介した本、発売されてからしばらくしてネットで紹介されてる記事を見て氣になったけど、1、2ヶ月経ってもまだ氣になるようだったら買って読もうと思っていたのですが、やはり氣になり続けていたので先月Amazonで買いました。著者のお名前と「ガイアの法則」という本の存在は以前から知ってたけど今回初めてこの著者の本を読みました。Amazonのレビューでいろんな人が書いてるように、自分にとってもこの本にいま出会えてほんとに良かったと思えた内容でした。

Amazonのレビューで「本の最後にフィクションですと書かれていてがっかりした」という意見がありますが、個人的推測ですが、フィクションですと書くことにより、より多くの人にこの内容を受け入れてもらうための著者の配慮ではないかと。もしこの内容は事実ですと言われたら、それだけで受け入れられない人がほとんどではないかと。

実際、著者が本の最初の方に…

『私は思春期の頃、自身が大きく変わる体験に出会った。詳しくは後述しようと思うが、それにより、時空を超えたとしか思えない現象を体験するようになった。見えないはずの場所や未来のビジョンが浮かび、後にそれが真実であることを知るという体験が重なるようになった。』

と書かれてあるので、また本全体を読むと2012年の冬至の頃に国内にある、とある縄文遺跡に著者が出向いてそこで実際に受け取ったビジョンを元に、この本が書かれてあるのだとわかります。

ここからは自分の感想を書きます。まず最初のほうに出てくる未来の社会の描写が具体的なイメージが出来て良かったです。争いのない平和でみんなが幸せに暮らしてる社会ってどんなんだろう?って具体的イメージを考えたことは一度や二度どころか、昔からずっと考えてきた事なので、それが今までの自分の想像を超えたイメージの描写が描かれていて、個人的にはそのことにまずグッときました。

そしてそこに住む未来の人が語った言葉…

「我々は、地球の本体から人工的絶縁物で遮断されて生活すること、および、大地から遠く離れた場所に常時就寝することが、身体にも精神にも不安定な作用をもたらす科学的事実を過去に発見した。大地は心身にとって不可欠な直接的作用をもつこと、および、その力を享受するための大地との連関には一定の条件が存在することも発見した。かつて食物や大気に原因があると思われていた多数の難病は、それ以前に大地との交流が遮断されることによる人体の不安定状態が本質にあり、そこに外的要因が結び付くことで生じていることが明らかとなった。この発見により、我々は多くの疾病を著しく減少させた。

またそれは、空間と人間との関係性の解明へと繋がり、夜の暗黒空間が、人間が本来有している自然界との本質的共鳴力に不可欠であることも明らかにさせた。一つの発見が、我々の社会の全体を変えたのである」

「また、この大地と空間の関係性の解明は、存在の本質的統一力を明らかにし、我々の社会そのもののあり方を変革させたのだ」

ここの部分だけでなく本全部を読むと氣がつくのですが、自分達が現代社会の中で暮らしていて様々な問題を解決しようと今いろいろと取り組んでいることは、果たして本当に正しいのか?と一度立ち止まって根本から検討し直すことの必要性を感じます。

Amazonで注文して届いて封を開けてから、結局何十回とこの本を読み返したんですが、こんなに一冊の本を何度も読み返すことは自分にしては珍しく、なぜかというと読み返すたびに本の中に登場する縄文時代の長老の語る言葉から縄文の叡智が滲み出てきて、毎回毎回新しい氣づきに出会うからです。

一番最初の一読目で自分が感じたことは、このブログで「宇宙は愛で出来ていた」シリーズで何度か書いてることと同じようなことをやはり縄文人は知っていたんだということが自分的には嬉しかったです。買って読む前から本のタイトルやサブタイトルから推測して、2019年の春に自分が受け取った答えと同じようなことが書いてあるのでは?と感じていたので。しかもこのことを著者は2012年の冬至にはすでに受け取っていて、本の中にも書かれてありますが、時が満ちるまではこのことを公にしてはならないと縄文時代の長老は語ります。そしてこの本が発売されたのは今年2020年の夏。自分が「宇宙は愛で出来ていた」と題して勇気を出してブログに書いたのも同じ時期だったので、大して世の中に影響力がないブログとは言え、書いた時期は正解だったと(とは言え、アクセス数もそんなにないし影響力がないから何を書いても大丈夫というわけでもないと思います。結局すべては繋がっているので)。

では何故時期が大事なのかというと、その答えは本の中の長老の言葉から理解できます。

「あなた方は今、今までにない節目にある。
 節目は、創造にも破壊にも転ぶものだ。
 それゆえに、時を超えた介入の門も節目には開かれるのだ。
 この介入が活かされるかどうかは、あなた方にかかっている。」

「あせってはならない。
 あなた方は原点に繋がる必要があるが、あなたの体験記の公表には、知識レベルの公表とは異なる意味がある。それは、我々とあなた方とを結ぶという時空の統一を意味する。この結びは、時が満たされるまでは進めてはならない。段階を経ることが必要だからだ。事をせいてはならない。
 この体験について書くべき時が来たらあなたにはそれがわかるだろう。
 それまでは、あなたの体を通し、磁力を通し、人々を育むのだ。
 社会の変革は、たった一点の空間の成立から始まる。
 その一点を確固たるものにするには時が必要だ。
 まだ時は満たされてはいない」

自分のこと振り返ってみても思うのですが、特に2011年の大震災を経てからのこの10年間、実生活でも精神の部分でも、いろいろな段階を経ていくつもの扉を開いて今やっとここまでやってきたという感覚があり、やはり2012年とか2013年などにこの本の内容に出会ったとしても、いまいち理解出来なかったし真から受け入れられなかったと思うので。今、アメリカの大統領選挙もすごい事になっていますが(世界が変わろうとしている)、やはりこの2020年後半の冬至へ向かうまでのタイミングがベストだったんだなと思いました。

…長くなったので、また次回に続きます。

『縄文』についての正しい再認識②

37千年前、この高いエネルギーを持つ日本列島に超感覚的な人々がやって来て、36200年前の頃には宇宙と同じエネルギー構造を持つ超調和的な社会を確立した。中心に樹齢何千年というマザーツリーを抱き、集落は円形状に広がり住居自体も宇宙の構造と同じで真ん中に火があり円形の形をしている。この社会では人間の思考は補助的なものだと捉えられていて、思ったり考えたりすることよりも宇宙エネルギーをいつも体感覚で感じ人間も一つの宇宙であることが重要で、そのことが宇宙と人、自然界や万物や人と人との真の調和をもたらすことことだと知っている。なので子どもへの教育というものも現代社会のような思考を中心とした観念教育ではなく、「ひとかた」と呼ばれる踊りや儀式その他により、宇宙と調和して暮らしていく叡智を親から子へと伝承していく。

 やがて日本列島から大陸に渡る人々があらわれ、その調和的な社会はやがて世界中へと広がっていった。そんな時代が数万年もの長きに渡り続いた。そうこうしているうちに日本列島を離れ長い時を経たあと、一部の人の中で調和的社会の叡智を守り続けることが出来ずに宇宙の中心から離れてしまい、中心を離れてしまった自らのエゴを満たすために人々を支配管理する者があらわれた。調和的社会の叡智を隠蔽改竄し偶像崇拝の宗教と科学による人々への洗脳支配がその時に始まった。

 日本列島では、蝦夷、土蜘、熊襲などと呼ばれる様々な部族が程よい距離を保ちながら平和的に暮らしていたが、弥生時代と呼ばれる3千年ぐらい前に大陸からはそんな宇宙の中心を離れてしまった支配的な人達がやってきた。その人たちが農耕文化と宗教を持ち込み大和朝廷をつくり、この国を日本という国に制定した。そしてその支配管理の流れは現在の2020年へと至る。

ざざっとまとめてみましたが、これが現在の自分の中の歴史認識です。「世界の歴史はすべて日本からはじまってたの!?」って…おそらく万人に受け入れられないと思います。でもこの認識を持つと今まで自分が疑問に思い悩み考え続けて来たことがすべて辻褄が合うのです。日本列島をリヤカーで歩きながら日本各地に封印された謎解きをしながら旅をして感じてたこと(特に東北、北海道)とか、日本列島雛型論とかシュタイナーが頂点は日本ですと言ったこととか日本がなぜ日出ずる国と言われてたかとか日ユ同祖論とかキリストやモーゼのお墓が日本にあることとか。(常識や一般論より、自分がそう感じるという感覚が大事なので)

そして今まさに、かつての古代の縄文の叡智が、3000年間闇に閉ざされていた様々な真のことが光を浴びようとしていることを感じてます。自分が今年に入りこのブログに書いてるような内容に興味がある人に、ぜひ読んで欲しい本を今日はご紹介します。(上に書いた歴史認識の一部をこの本の内容を参考にさせてもらっています)

この本の内容を詳しくご紹介するための記事をまた書きますが、今日はひとまずその本のご紹介を。

0(ゼロ)フォース 1(私)が∞(超私)となる神域(ゾーン)の実在

昨年の春に30年考えて来た問いの答えと一緒に降りてきた歌。

前回のブログ記事で、昨年春に息子が産まれて来てくれたタイミングで、自分の軸はやっぱり音楽だったんだという氣付きと新しい歌の歌詞が降りてきたと書きましたが、今年に入りこのブログで何度も書いている、自分が思春期の頃から長年考えてきた「宇宙ってどうなってるの?」という根源的な問いに対する自分なりの答えが降りて来たのも、この同じタイミングでした。

二年前の冬ごろからフラワーオブライフとか神聖幾何学というものが突然氣になり始め、自分なりに調べたり神聖幾何学の立体造形を綿棒で作ったりしていたのですが、フラワーオブライフからのその流れが昨年の春の自分なりの答えの発見へと繋がっていきました。宇宙とは『中心を抱きながら円形に循環をしているエネルギー』であり、銀河系も太陽系も地球も人間も動物も植物も微生物も、すべては『中心を抱きながら円形に循環をしているエネルギー』である、という答えに。

「すべては一つである。すべては繋がっている。宇宙はすべてがフラクタル(相似形)である。すべては循環している。」という宇宙の法則と言われていることを、それまでは理屈でなんとなく理解していたのが、綿棒で立体造形を作っている時に《宇宙とは中心を抱きながら円形に循環をしているエネルギーだ》とイメージで理解することが出来たのです。

でも果たしてその答えが本当か嘘かそれを証明できるものは何もないのですが、あえて証明するとするなら、同じようなことを言ってる人がいるということと、それに氣付いた時の自分なりの感覚、思考レベルで理解したという次元を超えた魂の奥底が震えるような感覚があったから、とでも言うしかありません。

そしてすぐにでもそのことを誰かに伝えたくなってブログを書こうと思ったんですが、自分のブログに書いたからと言って特に世の中に影響力があるわけでもないのに、なぜか今は書かないほうがいいと直感的に感じその時は書きませんでした。

タイミングをみて自分の直感の声を聴いて、勇気を出しながら『宇宙は愛で出来ていた』と題してブログ記事を書いたのは今年2020年の夏のこと(そんなに世の中に影響力がないブログとは言え、このタイミングで良かったと今では思います)。

その自分なりの宇宙に対するイメージや感覚と言葉が降りてきて昨年春に「うちゅうのはな」という歌が出来ました。ライブでは何回か歌ったことのある曲でYouTubeにはアップしてないですが、現在制作中で今度発売するCDアルバムのタイトルにする予定です。

歌詞だけ先に公開します。この歌詞が平仮名なのも実は理由があって、前回のブログ記事と今回の内容はこれから書こうと思ってる「縄文」の話へと繋がっていきます。

「うちゅうのはな」

まわりてめぐる うちゅうのなかにさくたいりんのはな

まなかにある ひとつのあいすべてのひかり

一二三四五六七八九十

いまここいるひと きづくまのこと

まわるわのなか ひかるまんなか

てらすまわり つながるひかり

つながるいのち つなぐいのち

ひとふたみよいつ むななやここのと あおうえい

いわおとなりひびく ひがたつおとなりひびく

ひふうみよいずる あまのなかのいわどひらく

一二三四五六七八九十

おにもふくも おなじわのなか

まものまことも まわるわのなか

いちからわかれ ひろがりやがて

ほうわしみつる またいちへとかえる

いろかたち ひかりおとなみ はなひらき

まわりてめぐる うちゅうのなかにさくたいりんのはな

まなかにある ひとつのあいすべてのひかり

一二三四五六七八九十

今回の人生で、生まれる前に決めてきた自分の軸は何だったのかが分かった話。

昨年2019年3月のことです。その年の5月4日に二人目の子どもの出産予定日だった奥さんと一人目の娘と三人で自分の両親が現在住んでいる下関市の実家で突然暮らし始めました。

なぜ暮らし始めたのかというと、二人目の子は病院ではなく助産院で産みたくて山口県内では山口市のほうに唯一の助産院があり、現在住んでいる長門市の向津具半島の家からだと高速に乗って車で片道1時間半の距離で、その頃2週間に1回妊婦検診のため山口市に通っていたのですが、出産予定日の約2ヶ月前の3月中旬の検診で切迫早産の可能性があることが分かり、入院をするか設備の揃った大病院近くの家で安静にするかの選択を迫られ、それで大病院が近くにある下関の実家でしばらく暮らすことにしたからなんです。

奥さんは絶対安静でずっと布団に横たわっていないといけないし、お腹の張りが強くなり産気が発生したらすぐに車に乗せて病院に連れて行かないといけないし、車の運転が出来る人間は自分しかいないので、自分も強制的に実家にずっとステイしていなければならない状態になりました。向津具の家にステイするのならば畑仕事や山仕事などやることはたくさんあるし時間を持て余すこともないんですが、下関の実家は町中にあり周りは民家で畑仕事も山仕事も出来る環境ではなく、家族全員の三食を作ることと娘の子守りをすること以外は特にやることもなく時間がたくさんある状況でした。まさに世の中でコロナが起きる前年から一足先にステイホーム体験をすることが出来たのです。

きっと今年コロナでステイホーム中に同じような境遇になった人がたくさんいるのかもしれませんが、自分もそのステイホームの時間はゆっくりと考え事や自分の内とじっくり向き合う時間になりまして、その時に「自分はいったい…何がしたかったんだっけ?」と自分の内を改めてゆっくりと見つめ直してみたんです。

マサーヤンのプロフィールページにも書いてますが、20歳の時にアコースティックギターを手にしてからすぐにオリジナルソングが出来て(自分には才能があると勘違いして?)大学卒業後プロを目指し東京に上京してアルバイトをしながら音楽活動をずっとやってた20代。その後30歳を境にアルバイト生活から脱却するためにフリーランスの自営業者として独立しました(自分の手で飯をきちんと食べられるようになるまでも紆余曲折はありましたが)。

音楽でメジャーレコード会社と契約しようとプロを目指したけど現実の壁に打ち当たりプロにはなれなくて挫折を味わった20代。でも自分の作った歌をどうしてもCDという形にしたくて37歳の時に念願のオリジナルCDを自費で製作しました(CDタイトルはNou life music”農ライフミュージック”)。そうすると今度はその歌をいろんな人に届けたくなってCDをリアカーに積み込み東京から沖縄まで旅をしたのが2009年。

今の世の中でポピュラーミュージックと呼ばれるものは主に西洋音楽をベースにしたものがほとんどで、もちろん自分がやってる音楽もその範疇に含まれるのですが、そこには楽譜という一つの正解があります。いわゆる上手いか下手か、楽譜通りに歌えているか演奏できているか、それは世界中の誰でもがジャッジができる世界です。そういう意味で言うと、子どもの頃からピアノを習っていたわけでもなく、学校の音楽の成績が特に良かったわけでもなく、音楽関係の部活をやっていたわけでもなかった自分には音楽的な才能はないと思ってたんです。

だからプロを目指し音楽活動をやってた20代の頃、レコード会社にデモテープを送ったりオーディションに応募したりする中で、自分でも薄々氣づいているわけですが、やはり周りの人やいろんな人から現実的な厳しい意見を言われるんです。

でも、なぜなのか分からないけど、自分で歌を作りその歌を自分で歌うことが昔からずっとやりたくて、そんな自分の心の奥底にある氣持ちから目を背けること、裏切ることができなくて、今までずっと音楽をやり続けて来たというわけです。

そして昨年の自分の内を見つめ直していたステイホーム期間の間に、時間がたくさんあるものだから久しぶりにオリジナル曲を書いてみようと思い立ったんです。奥さんが出産予定だった下関の総合病院の待合室でボーっと窓の外の景色を眺めながら、これから産まれてくる子どものことと、自分が昔からやりたかったことと、新しい曲のことをずっと考えていました。そのときに降りて来たんです。新しい曲の歌詞と、なぜ自分が音楽的才能はないと氣付きながらも昔から音楽をやり続けてきたのか、その本当の理由が。

今年に入りブログを久々に再開しいろいろと書いてますが、「人生とは?宇宙とは?この世の真実とは?」そういう根源的なことを思春期の頃から考えることが好きで、今ではそれは半分趣味みたいなものだと思っていると書いたことがありますが、それが正に今回の人生の自分の中心を貫くことだと氣づいたんです(なぜ根源的なことが知りたいのか、それを突き詰めるともっと深いところに行き着きますが、その話はまたおいおい)。

答えの分からない根源的なことを考え悩み続け、いろいろな人生経験を重ねたある日にふとその答えに氣付く、そんな瞬間が今までの人生の中で何度かありました。その瞬間の興奮と感動を味わいたくて今まで生きてきた節があります。そして次にはその自分なりの氣付きを誰かに伝えたくなります。自分にとってはその伝える手段、道具として、音楽というものがあったんだと氣づいたんです。伝える手段は音楽だけじゃなく、文章でもいいしアートでもいいし映像でもいいし講演でもいいし何でもいいいんですが、自分の場合は自分で作った歌に言霊をのせて自分の声で歌う、これが長い間、音楽をやり続けてきた理由だったのかとやっと氣づくことが出来たんです。

ただ昔の若い頃は、自分の中にある満たしきれない心の隙間があったので、それを埋めるために有名になりたいとか、すごい人だと思われたいとか、自分の歌で人を変えようとか思っていたところもあるのですが、自分の作った歌を歌うと言っても、あくまでも自分なりの氣付きを周りの人にシェアするというスタンスです(ブログも一緒)。

初めてアコースティックギターを手にした20歳の頃、プロを目指して音楽活動をやり始めた頃、普通は音楽でプロを目指そうとするなら、まず楽器の練習や歌の練習など音楽の技術を高めることをやると思いますが、自分の場合は音楽でプロを目指そうと思った直後に詩集や文学書や哲学書を読み始めることをしました。そんなんだから、いつまで経ってもギターも歌も上手くなりません、笑。自分が好きだったアーティストは歌詞の世界が深い人達ばかりで、どんなに演奏力が凄くてもメロディーがどんなに素晴らしくても、歌詞の世界が深くないアーティストは自分は好きになれなかったんです。音楽でプロになろうと思ったのになぜ自分は本を読み始めたのか、そんなところにも理由があると思います。

昨年、息子が産まれるタイミングでやっぱり自分の軸は音楽だったんだと氣づき(音楽だけれど厳密には音楽ではない)、そうすると今までどうして世の中は世間は自分の音楽を認めてくれないんだろうと不満があったし、やっぱり才能がないんだなと、半分ふて腐れていたのですが、昨年からは今までは100%認められていなかった自分の音楽が大好きになりまして、相変わらず技術的には上手いとは思えないけど、長年やってる間に音楽として人に伝えるための最低限の音楽的技術はそこそこ付いてきてるじゃないか、と自分でも思えるようになったし、まあようするに長い年月を経てようやく自分で自分を認められるようになったんです。今なら自信を持って言えます『自分が自分の音楽の一番のファンです。』と、笑。

今回のブログ記事で、「自分の軸が何だったのかが分かった話」として長年音楽とはこうあるべきだと自分で自分を縛りつけていた自分の例を持ち出して書かせてもらったのは、もしこのブログを読まれてる方で、世の中の常識やこうあるべきという観念に縛られて自分を見失っている人がいるのならば、何かの参考になればと思い書かせてもらいました。

『縄文』についての正しい再認識①

今から約6年半前、2014年3月に当時自分がリアカーで日本一周の旅をしていた時、熊野古道のある紀伊半島南部の地、熊野でメイドイン熊野の衣食住量り売りのお店「木花堂」をやっていた女性と出逢い(出逢った場所は日本最古の神社と言われている花の窟“はなのいわや”神社の前で、社殿はなく大きな巨岩が御神体でイザナミノミコトのお墓と言われている神社)、出逢ってから一週間後に即結婚することになった女性が現在の奥さんのサキエちゃんです。《現在、マサーヤン&サキエという音楽ユニットやってます。→YouTubeチャンネル

この出逢ってから一週間というまさに電撃婚ですが、まるでマンガかドラマのようなことが実際に起こるんだなと当の自分達でもびっくり仰天する出来事だったんですが、お店のお客さんや友達やリアルで会ってる人には詳しい話はするんですが、ブログなどの公の場で結婚に至る出逢いのことを書いたのは実は初めてかもしれません。

出逢ってから結婚を決めるまでのお互いのそこに至るまでのいろんな伏線のストーリーがあって、大嵐が起きたり携帯電話が壊れたりと結婚を決めるまでは旅を先に進めることが全然できなくて(結婚を決めたら先に進めた)、この時の出来事は自分達の意思だけではなく何かの大いなる力が働いたとしか思えなくて、自分で言うのもなんですがこの時の出来事を一冊の本か映画かドラマにするならば、とても面白い物語になるのではないかと(笑)。

まあその出逢いの詳しいストーリーはいつか氣が向いたら何かにまとめることがあるかもしれませんが、とにかく結婚してから約三年間は熊野の地で暮らしていました(奥さんは神奈川出身。お父さんとお祖父さんの故郷が熊野で、お祖父さんの熊野の家で13年間暮らしていた)。

そして熊野と言えば感受性の強い敏感な人なら訪れると分かるその土地の持つパワー。実際パワースポットと呼ばれる磐座や巨木があちこちにたくさんあり、そこまで敏感ではない自分でもそのエネルギーをいつも感じていました。

なんて言うか、古代からの縄文エネルギーをとても感じるのです。その頃から『縄文』というキーワードが自分の中にはずっとありまして。

奥さんと出逢ったのは花の窟神社ですが、同じく社殿のないこれまた巨大な磐座が御神体の丹倉(あかくら)神社という神社が熊野市の山奥にあり(ここで結婚式を挙げました)、この神社が自分達の出逢いから結婚に至るまでの鍵となる重要な場所であり、今でも自分達の心の奥底にはいつもある場所です。

まあとにかく熊野と言えば『縄文』というように、実際、熊野に住んでいる人の間では縄文時代にその土地を治めていたという女性「丹敷戸畔(ニシキトベ)」さんの話が知られており(日本書紀の中では神武天皇の東征の折に殺されてしまう)、先日なんだか氣になって「ニシキトベ」というキーワードで検索をしてみました(ずっと特定の一人物の名前を指すのだと思ってましたが実は30歳以上の子育て経験のある女性がつく役職の名なんだそうで)、そうすると3年前の2017年に『ニシキトベの復活』という本がナチュラルスピリット社から出版されていることを知り、今までは熊野に住むごく一部の人の間でしか知られていなかったニシキトベさんでしたが、今まで隠されていた封印されてきた『縄文』の世界がいよいよと表舞台へと出て来ているのだなということを実感しました。

前々回のブログ記事でご紹介した澤野さんの情報でも言われてましたが、いよいよこれから新しい時代、新しい世界が開けていくにあたり、今までの間違っていた私たち達の『縄文』というものについての正しい再認識がこれから不可欠なのではないかと感じています。

『縄文』について自分の思うことを書き始めようとしたら、結婚の話まで持ち出し前置きが長くなってしまったので、続きはまた次回に。

自分の中の盲点だった事。

昨日のブログで書いた自分の中の盲点の話ですが、それは何だったのかをずばり言います。

むかしから本当の事、この世界の真実を知りたかったので、何事も誰の言うことも既存の権威や組織の言うことも完全には鵜呑みにせず、自分の中にある固定概念を一個一個検証して、自分なりの答えを探して今まで生きて来たのは前回お話ししたとおりです。

例えば政治経済、マスメディア、学校教育、ビジネスの世界、衣食住に関して、農業、医療や病気について…などなど様々な分野について。が、一つだけ疑わなかった分野がありました。それはスピリチュアルの世界のことでした。2003年頃からそういう系の本もたくさん読み勉強して来ました。三次元の目に見える世界だけじゃなく目に見えない世界のことを考えるのも大好きなので。ここが自分の中の盲点だったのです。もちろんスピリチュアルの世界で言われてることをすべて信じて鵜呑みにしてた訳じゃありませんが、自分の概念を検証するという作業を他の分野に比べて怠っていることに氣づいたんです。

もしこの世界を支配管理しようとしてる人(存在)が、このスピリチュアルの世界にも仕掛けを施していたのなら?

スピリチュアルの世界で目指すこと、重要視されてることは、人間の目覚めです。が、人間の目覚めを促し本当のことが書かれていたり説かれてはいるけれど、最後の最後に結局、依存させられてしまうという仕組みが施されているとしたら??

95%は本当のことで5%は嘘が混じっていたらほとんどの人は氣付きませんよね、笑。

だから結局大事なのは、一人一人が本当か嘘か5%の嘘を見極める目を持つこと。このブログで何度も書いてますが、そのためには自分の中心軸をしっかり持っておくこと、中心軸と繋がっておくこと。自分の頭でよく考え勉強して最終的には自分の感覚、直感を信じることなんだろうなだと思います。誰しもの心の中心にある万物創造の意識、真の自分、ハイヤーセルフ、はすべての答えを知っていますから。

で、そんなスピリチュアルの分野で自分の中の固定概念をよく検証してみました。そうすると今年に入って書いたブログ記事で述べた自分の考えをいくつか訂正しなくてはと思いました。

地球が優良星、この世界がミロクの世になるためには、ハードランディングになるにせよソフトランディングになるにせよ自然災害、経済崩壊、食糧危機などの荒事が絶対に避けらけないだろうと思っていました。いろんな本に書かれているしいろんな人が言ってるので。が、人間一人一人の心の中心には万物創造の意識がありその意識と一人一人が繋がるのならば、荒事はあえて起きる必要、体験する必要はないじゃないか、、と思ったんです。

あと、別の記事でこの世界からお金がなくなると書いたことも訂正したくなりました。今の世の中では恐怖や不安の代償、穴埋めの存在としてお金が存在することを否めません。が、実は不安や恐れ不足はなくすべてが満たされていたとみんなが氣付き、お金というものが愛のエネルギー循環が目に見える形として存在するのならば、お金がなくなる必要はないんじゃないかと。これからも愛のエネルギー循環はなくなることはないし、もしろそれは宇宙そのものです。

結局、一人一人がどんな世界で生きるのかを今の意識で選択出来るんだろうと思います。並行宇宙、マルチユニバースですね。100人いれば100通りの宇宙、70億人いれば70億通りの宇宙が。

そういう訳で、自分は荒事を経験する必要のないミロクの世界を今、選択しました。

自分の中の盲点に氣づく情報

自分の青春時代に愛聴し今だに色褪せることないブルーハーツの名曲「情熱の薔薇」の曲の一部にこんな歌詞があります。

見てきたものや聞いたこと
今まで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな氣持ち分かるでしょう?

2020年という今の時代だからこそ、この歌詞が胸に響いて来るのは自分だけでしょうか。人は自分が信じているものを信じたい性質があるので、自分の信じているものを人に否定されると場合によっては怒りだすか、否定して来た人を批判し返して喧嘩になります。

でもその自分が信じて疑いもしない当たり前のことが実は誰かにでっちあげられた嘘でデタラメだったとしたら?

真実の扉を開くことなく嘘やデタラメを信じたまま人間は一生涯を終えてしまいます。

自分はそんなことは嫌だから、本当の事が知りたいから、高校生の頃から数えてもう30数年「この世界の真実は?人生とは?宇宙とは?」そういう根源的なことについて考え続けてきました。10代20代の頃は真剣に悩んでいましたが、40代ともなると自分はこういうことを考えるのが好きなんだと氣付き、いまは趣味のようなものだと思ってます、笑。

だから自分が頭の中で信じて疑わないような事柄を一個一個実体験と知識と直感を交えながら検証し、間違っていると思うならば潔くその考えを捨て去ることをして来ました。そんな頭の柔らかさや柔軟性をとても重要視してきました。

だから「ああそうだったのか〜とか、ああこういうことかも!」という氣づきを得て、自分の中にある閉ざされた扉を今までの人生の中でいくつも開けてきたつもりです(この氣づきを得られた瞬間が快感なんですよ、笑)。

時代がそういうタイミングなのか、昨年春に息子が誕生した頃から今年に入ってコロナが起きそして最近でもそんなことがとても頻繁に起こってます。

そんな自分なんですが先日「ああ〜この扉、疑ったことがなかったなぁ。。」という自分の中の盲点に氣づく情報と出会いまして、それは歴史認識から生まれる盲点した。

歴史は(戦争の)勝者がつくると言いますが、自分たちがむかし学校で教わった日本や世界の歴史、自分もそれは基本的には嘘だと思っていて、実際のところ本当のところどうなっているんだろうと興味があってむかしからよく考えて来た分野の一つです。

その自分の中の盲点に氣づく情報と出会い、今まで点と点だったものが線で繋がった感覚がありました。縄文から弥生、大和へ至る歴史の流れとか、古代イスラエルの失われた10子族のこととか、明治維新から第二次世界大戦、戦後のいくつかの事件のこととか。こういう情報に初めて触れる人にとってはチンプンカンプン、トンデモ話だと思う人が多いかも知れません。

でも自分的にはたくさんの本を読んだりこういうことはむかしからずっとずっと考えて来たことなので、とても腑に落ちたのでした。自分の盲点に氣づきその後考えがどう変わったのかはさておき今日はその情報のリンクを張っておきます。

Blog – intuition – 澤野大樹さん公式サイト

澤野さんの青森講演会を主催されてる方のブログ。澤野さんが講演等で述べられてる内容を詳しくご紹介されています↓
宇宙の中心で愛を叫ぶ。


これからの時代のキーワード「宇宙エネルギーを集める」

2014年4月にアメブロのほうに書いた飯島秀行さんの講演会の内容を転載した記事に、今でもわりとアクセスがあり、興味関心ある方によく読まれているようなんです。↓こちら。

先日、自分も氣になって久しぶりにその内容を読み返してみたんですが、その時は感覚でなんとなく分かった氣になってたのが、6年半経った今、より理屈で理解が出来るようになっていました。

このブログで今年になって何度も宇宙は愛で出来ていたシリーズなどでも書いているように、2014年には難解だと思っていた飯島さんの講演会の内容が、より理屈で理解が出来るようになっているのは、自分の中で「どうやら宇宙はこうなっているのだな」という自分なりの答えを昨年ぐらいから持てるようになったのが大きいと思います。

講演会の冒頭に出てくる、宇宙にたった一つの法則
(X)+(Y)=0  X:作用、Y:反作用、0:法則、神、中性

という公式、今ならよく理解が出来ます。相反するエネルギーが合わさってその中心に宇宙エネルギー(ゼロポイントフィールド)があるということが。

例えば男性エネルギーと女性エネルギーが合わさり生命エネルギーが生まれるなど。あの有名な太極図ですね。

右回り左回りの陰と陽の相反するエネルギーが交わる中心部が大事。これもフラワーオブライフの中心部に宇宙エネルギー(ゼロポイントフィールド)があるという考え方と同じで、結局こういうことが宇宙を表しているのだろうと。

それで氣付いたんですが、以前ブログにも書いた大地の再生の手法で、コンクリートやアスファルトで締め固められ硬くなった大地の再生をするために、周りに穴を掘り必ず炭を入れ、そのあと枝や枯れ葉などの有機物を投入します。同じように土地環境や磁場を整える古代人の叡智の一つ、カタカムナ人の炭素埋設法というものがあり、こちらも土地の四隅に深い穴を掘り同じように炭を入れます。この「炭を入れる」ということが大事なポイントなんだろうと氣づきました。

一般的に炭には水を浄化したり除湿効果や炭の持つ多孔質に微生物が集まり土壌改良などの効果があることで知られていますが、ここからは自分の仮説ですが、炭というのは木や竹などを一度火で燃やしたもので、火のエレメントを持つ物質です。これを土中に入れることにより、大地に降った雨の水と合わさることにより、相反する火のエネルギーと水のエネルギーが合わさりその中に宇宙エネルギーが生まれるのではないかと。生まれるというよりも宇宙エネルギーは空間上に無数にあるものなので「集まってくる」と言ったほうがいいと思います。火を入れてエネルギーを高める(集める)ということで言えば、料理をする時も火を通したほうが美味しくなるし、お風呂も薪の火で沸かした熱いお湯などはより氣持ちが良いものです。

で、このことを理解すると飯島さんの講演会の内容によく書かれてある「圧を高める」ということがよく理解出来ます。空の容器(実際は空ではないですが)に宇宙エネルギーを集めることが圧を高めること。

例えば人間のお腹が空く現象。お腹が空いたら胃袋に隙間が出来るので、水と食べ物を入れて胃袋内の圧を高める。だから現代の栄養学の観点では説明出来ないんですが、実際は水や食べ物が持つ宇宙エネルギーを体内に取り入れて人間その他の動物は生きているんではないかと。食べ物を食べて生きているんじゃなく宇宙エネルギーを集めて生きているとも言えます(人はものを食べる時、陰陽関係の上の歯と下の歯でよく噛むことにより、食べ物のエネルギーをさらに高めている?)。だから何も食べなくても生きていける不食の人が実際にいることも頷けます。

野菜作りの観点からみると見た目が綺麗で大きな野菜が必ずしも体に良いわけではなく、見た目よりも宇宙エネルギーをたくさん持つ野菜を育てることが大事で、飯島さんが「野菜に虫が付くのは、虫がセルモーターの役割をしている」と言ってることも、これも野菜が育つ土中環境に宇宙エネルギー(微生物)が不足しているので、野菜自身に元氣がなく、虫がセルモーターの役割を担ってエンジンを回してる状態なんだと理解できます。だから虫を排除しようと農薬を撒くのではなく、人間がやるべきことは、田んぼや畑に宇宙エネルギー(微生物)をたくさん集めて圧を高めること。後は種を撒いて放っておけば、宇宙エネルギーの力で元氣で美味しくエネルギーたっぷりのお米や野菜が勝手に出来るはず。(こういう視点で自分の田んぼや畑で実験しています)

飯島さんの言う「微生物」を「宇宙エネルギー」に置き換えて、もう一度この講演会の内容を読み返してみると、なるほどな〜と全てが腑におちるので、興味関心ある方にどうぞオススメです。

自分の中心軸を意識して毎日をワクワク楽しく過ごす方法②

以前書いていた自分の中心軸を意識して毎日をワクワク楽しく過ごす方法の続きを、、ようやく書きます(パート①はこちら)。自分の中心軸を意識する方法として自分なりの考えでは、身体的アプローチと精神的アプローチの二つがあり、身体的アプローチでは…

・太陽を浴びる。

・深い呼吸をする。

・有酸素運動、身体を動かす、汗をかく。

・身体を緩め、巡りを良くし、身体の中心を整える(瞑想、ヨガ、自力整体など)

・とにかく笑う。

・大声で歌う。

というものがあると書きました。

一つ目の太陽を浴びる効果はパート①で書かせてもらったので二つ目以降のことについて説明していきます。「深い呼吸をする」について。とかく現代人は呼吸が浅いと言われています。明治以前の昔の人は肚を意識して暮らしていたので現代人よりもずっと深い呼吸をしていました。今は多くの人が胸式呼吸です。これを氣がついたら深い呼吸、腹式呼吸に変えていく。不思議とこれだけで氣分が落ち着きます。多くの人は胸より上の頭のほうに氣が上りがちで、四六時中ワタワタと落ち着かない、睡眠も浅くなりがちです。

人間は呼吸によって大氣中の酸素を吸い込むだけでなく、氣(宇宙エネルギー、プラーナ)を体内に取り込んでいるので、呼吸を深い呼吸、腹式呼吸に変えることによって氣をお腹(丹田)のほうに溜める、そして体の真ん中から全身に氣を巡らすイメージでしょうか。(以前も書きましたが、そのために大事なことはまず出すことです。まず吐くこと。ゆっくりと長い息をお腹から出すことです。)

宇宙に存在するものはすべてフラクタル(相似形)であるという宇宙の法則から、人間の体を地球に例えて考えてみると、毛細血管は大地に生える草木の根で、血液体液は大地をめぐる水です。水は氣(宇宙エネルギー)を運び大地の隅々までめぐらせます。全身に血液を送り出す心臓や内臓器官は地球にとって月ではないかと。月の引力が海の潮の満ち引きを生み出し、地球上の水を循環させるポンプの役割を担っています。考えてみると臓器の漢字の部首は月へんになっていますよね。

では人間の呼吸は地球で考えると何なのか、それは風ではないかと。風は水を運び大気を動かし淀みを撹拌し循環させます。エネルギーの高い場所(イヤシロチ、ゼロポイントフィールド、ゼロ磁場地帯)とは常にたくさんの氣(宇宙エネルギー)が流れ込み循環が起こっている場所で、逆にエネルギーの低い場所(ケガレチ、氣枯れ地)とは氣の流れが滞り停滞している場所です。

人間の体でも同じことが言え、血液や氣の流れが滞った箇所があるとそれが病気の原因になります(自分は専門家ではないので断定はしませんが、あくまで宇宙に存在するものはすべてフラクタルであるという考えから導いてきた仮説ですが)。

そう考えるとですね、やはり日々深い呼吸を意識することにより、全身、手足の先の隅々まで氣(宇宙エネルギー)を送り込み循環をさせることが大切ではないかなと。

深い呼吸を意識することは、いつ何時でも氣づいた時にはいつでもできます。あせったりなんだか氣持ちが落ち着かない、なんかイライラする、そんな時は自分の中心から、ずれている時。そういう時はゆっくりと深い呼吸を意識するだけでいつでも自分の中心に戻れるので、ぜひオススメです。

…やっぱりこのシリーズも長くなりそうなので、パート③へと続きます。