10年ぶりのTwitter。

Twitterを約10年ぶりに再開してみました。昔やってた時はちょっと苦手意識があったのに久しぶりにやってみるといろいろと使いやすくなってて、限られた文字数の中で直感的に思ったことを発信できるツールって、実は自分向きだったんじゃないかと改めて思いました。ブログよりも直感的な短い文章を書くほうが実は得意なのです。歌の歌詞を考える要領でこれはずっと昔からやってきたことだったので。楽しみながら続けられそうです。ブログよりも更新頻度は確実にあります、笑。

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12年ぶりに新曲をリリースしました!

二年前の春に息子が生まれて来てくれたタイミングで自分の中心軸はやっぱり音楽だったんだと氣づき(厳密には音楽ではない→詳しくは)、曲をレコーディングするためにPC用ソフトを昨年の秋に買い、子育ての合間をみて、ちょこちょこと音楽の制作をしてたわけなんですが、音楽録音の機材と言えば30年近く前はカセットテープの4chのMTRだったわけで、いや〜技術の進化はすごいですね。ひと昔前まではプロ用のスタジオでしか出来なかったことが、今やパソコンとDAWというソフトがあれば、それこそ総額何百万という高価な機材を買い揃えなくても、そこそこのクオリティの曲が出来てしまいます。

パソコンとDAWソフト、オーディオインターフェイス、モニタースピーカー、コンデンサーマイクなど揃えて現在自分の部屋は簡単な録音スタジオ仕様になってます。自分の部屋を録音スタジオにすることは昔からの夢の一つだったんですよ。子どもが一生遊べるオモチャを手に入れた気分です、笑。

というわけでアルバム用に昨年秋からちょこちょこと作ってた内の1曲を先行シングルとして、iTunesやamazon、spotifyその他もろもろより配信を開始しました↓
https://linkco.re/f061BPc2

YouTubeで無料で聴けます。snsなどでシェア拡散、大歓迎です〜!

YouTube動画

自分を抱きしめる。

現在、5歳の娘ともうすぐ2歳になる息子の子育て真っ只中ですが、彼らを見てていつも思うのは、親の愛に対する絶対的な信頼感を疑いなく持っているなあということ。

他の動物と違い人間だけは生まれてから独り立ちするまでにとても長い期間を要し、その間、親やその他の誰かのお世話、保護が必ずないと、大きくなれません。子育てをしていて、以前はなぜ人間だけが?と疑問に思ってたんですが、どうやら人間はそういう風に出来ていてそこに大きな意味があるのでしょうね。

親になっていつも思うことは、自分は一人で勝手に成長し大きくなったつもりでいたけど、大きくなれたのは自分の親を始めいろんな人のお世話、無償の愛があったからだよなあ…ってこと。ありがとうございますという感謝の念が湧いてきます(とはいえ、やはり人間なのでバタバタの毎日で子ども相手にテンパることも多々あり、そんな時は感謝の念はどこへやら、笑)

前回紹介した「抱くものが抱かれるもの」という動画にあるように、子ども達は親や周りの人の愛に対する絶対的な信頼を持っていて、愛されることを当たり前に感じ自分の中にいつも愛を抱いています。だから愛されるのだと。

親元を離れ独り立ちし大人になった自分達大人は、子どもの頃に持っていた「愛されていることを信じて疑わない」という感覚を忘れてしまっています。

でも、本当は誰もが一人の例外もなく宇宙の大いなる愛に包まれ愛されているんですよね。。動画を観て魂の奥底が震え涙が流れました。

一人一人の人間の中心にある宇宙の愛を抱く時、それは外側にある宇宙に抱かれ愛される時。自分を信じる、愛する、赦す、委ねる。勝手につくり上げられた枠の中に自分を閉じ込めない。それが自分を抱きしめるということなんでしょうね。

『縄文』についての正しい再認識⑥

私たちは誰もがこの世に生まれたばかりの赤ちゃんの頃は誰もが宇宙と繋がっているし宇宙そのものの存在であると言ってもいいと思います。ところが次第に大きくなって成長していく中で、親や周りの人達から現社会の中で善や良しとされる様々な観念を刷り込まれ、そういう社会の一つの枠組みの中で誰もが大人になっていきます。

 現在、5歳の娘と1歳の息子の子育て真っ只中ですが、毎日のふとした時に、親の思う通りに子ども達をコントロールしようとしてる自分がいることに氣がつきます。特に現在、保育園に通っている娘に対して、時間通りにご飯を食べさせて遅刻させないようにまたその他様々な場面で、親の思うように動いてもらうために「〇〇で〇〇だから〇〇しなさい」「〇〇で〇〇だから〇〇してはダメ」などと理路整然と説き伏せてみたり、飴と鞭を使い分けるような軽い脅しや脅迫的な物言いで子ども達をコントロールしようとしてる自分に氣が付きます。まあいわば無意識的に自分が親に育てられた時と同じように、いま子ども達と接しているわけです。(この辺のことは夫婦間でいろいろと話し合ったり、モンテッソーリ教育などを勉強したりして、夫婦間でいろいろ試行錯誤して今では子育ての方法もだいぶ変わっていますが)

上で紹介したのは自分の子育ての一例ですが、このように現代の社会ではとにかく何をするにしても物事を理屈や理論的に思ったり考えたりしています。このことは現代社会の中のすべての物事の前提として当たり前にあることなのですが、以前も書きましたが縄文時代にはこういった人間の思考は補助的なものだと捉えられ、子ども達への教育として今の社会のような観念教育はなかったそうです。前回の記事で紹介したように、現代社会では誰かがつくりだした枠組みの中に誰もがすっぽりと収まっていて、収まっていることすら氣付かずにその枠組みがすべてだと疑いもせず、そして人にその枠組みを押し付けて、大きな枠組みの中にさらにたくさんの小さな枠組みをつくり暮らしている状態です。

以前、人類を支配管理する存在のことを批判して自分はもう目覚めているから大丈夫だ、と思っている時期がありましたが、子育てを通じて氣づくのですが、自分も同じような手法(飴と鞭の使い分け、脅迫観念、枠組みの押し付け…)で自分の子ども達を支配管理しようとしているじゃないかと、笑。枠の中にまだまだ自分も収まっていたのです。

日本語の言霊的に「わく」という言葉を自己解析すると、わ(輪、環、和)+く(句、くくる、区切る、苦)と分析します。宇宙には区切りはないので、枠の中にいる限りはどんな方法をとっても宇宙と調和した社会、ミロクの世の実現は不可能なんだと思います。

枠の外に出るためには、わ(輪、環)の中にある中心(ゼロ)と繋がる、結局これしかないんだと思います。

ではその中心と繋がるためにはどうすればいいのか?という疑問が湧いてきますが、紹介した本の中にそのやり方は次回作で明らかにするという記述がありました。おそらく、今のこのタイミングでは、人類が真の調和社会を実現するために、今まで表に出て来なかったかつての縄文の叡智というものがあった、そのことをまずは知ることが重要なのだろうと思います。それを実際の社会に反映するやり方を知るのはもう少し先でいいのかもしれません。

この本を読んで「心は原因ではなく結果である」という視点が自分なりにはしっくり来たので、今までやってような『自分の心を見つめ、心(意識)で心(意識)をコントロールする』ということをやめました。霊性を高め人間性を磨いていくために、自分の心を常に見つめて良くない感情を自分でコントロールするということを20年近くやってきたのです。でもそういうことを辞めてみるとと逆に心が軽くなったような氣がして、「あっ、今、心が乱れているな」と感じた時には、とにかく自分のエネルギー(氣の流れ)、体感覚を整えることに焦点を当てています。そうすると、エネルギーが整うと不思議と心も整っていくのです。(まだまだ実践あるのみですが)

例えば心の中に何か問題があったとして、それを心でコントロールするのはそれは同じ次元の中でのことなのでやはり限界があり、真に解決するためには違う次元に行かないといけません。縄文以降この2、3000年間、人類は宗教や制度や法律や科学やスピリチュアルやその他いろいろな方法を使い平和で調和的な社会を実現するために歩んできました。目に見える世界のことだけですべてを解決しようと歩んできました。円が360°ならば、半円の180°だけで。けれど、今ある様々な問題を解決し真の調和社会、ミロク(36、360°)の世の実現のためには、誰の目の前にもある今までは何もないと思われていた空間(こちらが本当の目に見えない世界)に、答えがあったのだと知ることではないでしょうか。

「ま」という言葉を言霊解析で自分なりに分析すると「間、真、魔」という意味で表すことができます。よくディ〇ニー映画などで魔法という言葉が出てきますが、確かに縄文以降の2、3000年間は魔法の世界だったのかもしれません。けど、もうこれからは「まほう」と言えば「間法、真法」と表せる世界になるのではないかと。

今まで縄文についていろいろ書いてきた内容を振り返ると「縄文=善、弥生以降=悪」と捉えがちですが、それでは善悪二元論の同じ次元に留まったままです。そうではなく、人類と地球の真の霊的進化のために、やはり弥生以降の2、3000年間の時間と経験が人類に必ず必要だったのではないかと。

いや〜長々と書いて来ましたが、なんとかまとまりました。今日は2020年12月21日、冬至です。冬至という日は縄文時代には一年で一番重要だった日のようで、この日は土器や土偶などを壊し土に還す、土に還すとは無(ゼロ)と繋がる、すなわち永遠と繋がるために。新しい一年を迎えるためにつまりは一年の総デトックスです。

今年の冬至は一年どころか何千年、何万年もの長い時間の節目になるように思います。そう言ってる人もたくさんいます。とにかく自分的にはこの日までに縄文シリーズのブログ記事を書き終えることができて良かったです、笑。今思ってることを出し切りました。

最後に、紹介した本の中の縄文人の長老の言葉をご紹介して縄文シリーズの記事を終わりとします。

「宇宙は、存在という観点から見れば、それはあなた方が理解するように、無だ。しかし、命という観点からは有なのだ。物質に焦点を合わせるあなた方には、宇宙は、『無』から『有』が生じているように見えるだろう。そこでは、すべては、はかない。すべては、分離している。すべては孤独だ。その錯覚が、あなた方の物理学の基礎にある。

私はあなた方に理解可能な認識で伝えてきたが、空間(MA)というものを基準に見る我々の目には、この世界は、それとはまったく逆なのだ。

我々の目には、この世界は、空間という『実体』の上に成立しているのだ。

この子宮空間体のすべては、中心なる『0(無)』へと向かう性質をもっている。

その焦点力により、個、すなわち有限界の命は生まれるのだ。

我々にとって、存在とは、全包容的無の力だ。

そしてその力こそが、HARI(フォース)なのだ」

『縄文』についての正しい再認識⑤

…前回からの続き

この本を読んで個人的に一番衝撃を受けたことは、「心は原因ではなく心もまた結果である」という視点。今までずっと目の前の現実(結果)をつくりだす原因は自らの心にあると思ってきたので、自らが望む現実や幸せを手にするために自分の心を磨くということをずっと昔からやってきました。そうやっていくつかの望みや願いは今まで歩んできた人生の中で実際の形になったし、このことは自己啓発書や精神世界でよく言われている王道中の王道の法則だと信じて疑いもしなかったです。またスピリチュアルの世界でよく言われる、一人一人が自らの魂を磨く霊性を高めていく、このことが宇宙全体の進化に寄与、貢献することだと思っていました。

ここで今回のこの「縄文についての正しい再認識」シリーズの①で書いた自分なりの歴史認識の内容を振り返ってみます。完全調和社会の縄文時代が何万年も続いたあと、宇宙の中心を離れてしまった支配的な人(存在)達が人々を支配管理する道具として宗教を広めていきましたが、これが2〜3000年前のこと。

自分は、ある特定の宗教を信じていたり信者でもない、いわゆる無宗教者です。でも目に見えるものだけしか信じない唯物論者ではないし、むしろ目に見えない世界があると強く思ってるし、世の中の宗教に関しても例えばキリスト教や仏教、神道などいろいろとありますが、それ自体の教えはそれぞれ本当に良いことを言ってると思っています。だから現在、世界中に様々あるその宗教自体を今まで否定したり疑ったりしたことはありません。

でも、自分なりの歴史認識がはっきりと見えてきた頃に少し疑問が湧いてきました。いろいろな宗教や教えが世界にはありますが、それらに共通しているのは、『誰か偉い人(存在、神)がいてその下に人々がいる。そして人々は未熟で至らなく不完全である。だから一人一人が偉い人(存在、神)の教えに従い自らの心や霊性を高め磨いていく。』という構図。

2〜3000年前にやって来た支配的な人(存在)達が、誰かが言った良い教えを利用して、人々を支配管理するための道具として宗教というものをつくったのだとしたら??

そしてその流れが現在の2020年の社会にもずっと続いているのだとしたら??

宗教を始めとして社会全体のありとあらゆる場所にそういう支配管理する枠組みが、誰もが疑いもしないまま今現在も当たり前に存在し続けているのだとしたら??

本の最後のほうで、縄文時代の長老が語る言葉と著者の内面の描写としてこう記されています。

私たちにはあたり前の法律や国境、あるいは権力も、この枠組みが発展した見えない枠組みだ。それらがなければ自身を守ることができないと私たちは考える。だが、彼らの世界には、これらがない。(中略)私たちの社会は、今や仕切りと枠組みであふれかえり、それでもさらにそれらを必要としている。ここの人々は違う。ここには、自然界との間にも仕切りが存在しない。そうだ、彼らは宇宙と同じだ。(中略)彼らの社会は、宇宙と同一なのだ…

「あなた方の世界は、国家という幻想により、争いを作り上げている。大地には仕切りは存在しない。あなたは、あなたの社会の人々がいとも簡単に社会権力に洗脳され、操られてしまうことに失望してきたはずだ。また、それをどうしたら克服できるのかを知りたいと思ってきたことを我々は知っている。その理由もすでにおわかりのはずだ」

たしかに私は今、理解している。洗脳支配の裏にあるものは枠組み心理と依存なのだ。自立力のない依存心理の個人は、コントロールされていることにさえ気付くことができないのだ。

「我々には社会的洗脳が存在しない。対立次元を超えた統一空間内では、存在による存在の支配は発生しない。中心不在の空間世界は、回転力を失ったコマ同様に外界の力に流され、またそれゆえにエゴへの依存が生まれる。

 すべての思想的支配は、本質では、中心力(フォース)の喪失から生まれる。不統一空間にあるあなた方の世界では、常に中心ならざる中心、すなわち権力なるものが生じている。正しく見える正義こそが、あなた方をその力に引き込んでいる。真理というものは、善悪二元論を超えた統一次元にしかないのだ」

…次回に続きます。

『縄文』についての正しい再認識④

…前々回紹介した本の感想の続きです。

完全調和社会の縄文時代が何万年もの長きに渡り続いた秘密の一つに、縄文時代には住む家も集落全体も一人一人の人間も、すべてが宇宙のエネルギー構造と同じ真ん中にHI(火、陽、霊)を抱き円形に循環するトーラス構造(統一場空間)を保っていた、それが宇宙や自然、人と人、すべての万物と完全調和する方法だと理屈ではなく感覚で縄文人は分かっていたから、ということが本を読むと理解できます。

人間一人一人が一つの小さな宇宙であり中心を抱いた円形のエネルギー構造を意識して毎日を暮らすことが大切だと以前から自分も考えていたし、このブログでも「中心軸を意識して毎日をワクワク過ごす方法」と題してブログ記事を書いたこともありますが、毎日暮らす住居も集落社会全体も宇宙と同じエネルギー構造だったのか…そりぁ〜家の中にいても外に出ても宇宙の中にいるのだから、その中で暮らす人間自体も自然と整うはずだ…と衝撃を受けました。

あと、なるほどな、そうだったのかと思ったこと。それは縄文という名前の由来になった縄文土器の秘密。縄文土器には縄の紋様が記されていますが、これは土器の周りに縄を巻き付けて火で焼いていたからだそうです。なぜ巻き付けるかと言うと、土器自体が一つの子宮空間(宇宙)でありその中に食べ物を入れますが、これは以前このブログで書いたことのあるエネルギーを高める(集める)ことと通じる考え方です。自分が最近なんとなく考えていたことがここでも繋がったか…と嬉しかったです。縄文時代、縄をなうのは主に女性の仕事だったそうで、依りをかけ右回転と左回転の縄を合わせることで空間にあるエネルギーを集め土器の中の食べ物のエネルギーを高めていたのではないかと。現代の日本の社会にもこのような縄文の叡智は意味は変わってますが、でも形としてはいろいろと残っていて、御神木に巻く中連縄や神社のしめ縄もそうで、個人的推測ですが玄関先に飾るお正月のしめ縄飾りも同じことではないかと。真ん中にみかんを付けますが、これは太陽(火、霊)の象徴ではないかと。なんかいろいろなことがすべて繋がっていくので、面白いです。

あと、これも自分なりに昔から考えていたことと重なる内容が書かれてありました。それは、日本語というものが宇宙のエネルギーそのものを現す言葉だということ。いや、縄文の人達(この本の中で)がフォース言語と呼んでいる宇宙自体への共鳴から生まれる言葉(響き)が、日本語のあいうえおの中に現代でも残っていると言ったほうがいいかもしれません。

本の中で、MA、HA、HI、HIKI、HARI、HAREといったものがフォース言語として登場します。(日本語の持つ力については、自分なりの考え方をまたいつかブログに書きたいと思います)

そして最後に、この本を読んで個人的には一番衝撃を受けたことがあり、それは何かと言うと「人間の思考や心は原因ではなく、結果である。」と縄文人の長老が語っていることです。現代人は平和的な社会を築くために、人と喧嘩をしないで仲良くするために、ルールや規則や制度を作り、子どもへの躾や教育、自らの理性や心を磨いたりといろいろとやっていますが、それでも争い事や不調和な事は今も絶えません。けれど縄文時代には社会の調和を目的としたルールも規則も法律も宗教も教育も躾も心の修行も何もない、縄文人がやることは宇宙と同じ統一場空間を保つだけ。人と人、宇宙や自然との完全調和はその結果に過ぎないのだと。

人と人とのコミュニケーションに関してもひと言ふた言、軽く言葉をかわすだけで十分で、余計な会話も愛想笑いも社交辞令も必要ないそうです。なぜなら、もうすでに深いところで繋がっていることを知っているので、現代人のような、まずは孤独が前提としてある相手への無駄な詮索や自己顕示や余分なコミュニケーションは必要ないと。

個人的に過去のことを振り返ってみると、昔から特に2003年頃から、それまでのどうしようもない自分を変えるために自己啓発書やスピリチュアル系の本を読みまくり、心を磨く、魂を磨くということをやってきたつもりです。思考は現実化すると信じていたし、目の前の現実(結果)をつくりだす原因は自らの心にあると思っていたので。このことに関して本の中で長老はこう語ります。

「あなた方の世界では、愛は時に相手や自身を束縛し、自由に生きたいと求める心は、人との愛の関係を失わせる。自身の求めと周囲との関係性が矛盾し合っている。あなた方はそれを心の問題だと思っているが、我々の目には心もまた結果なのだ。その矛盾の本質は心にあるのではない。それこそが非子宮空間による枷(かせ)なのだ」

「HARI(フォース)空間が形成されない限り、存在は相対力に縛られる。心もまた相対力に縛られるのだ」

「たしかに思念は大きな力をもつ。だが、それは現象界の力だ。そのひとり歩きにより、あなた方は光を失っている。(中略)思考の分散状態は、あらゆる次元の統一性を損う。それは肉体に刻まれ、一定期間続くと、様々な分裂感情を引き起こさせるようになる。この段階では、心が心をコントロールすることが難しくなる。
あなた方はその状態が通常であるため、人間とはそのような存在であると思っている。しかし、人間とは、決してそのような存在ではないのだ」

…次回に続きます。

『縄文』についての正しい再認識③

昔、東京に住んでいてよく本を読んでいた頃は、本屋さんに入って少しでも氣になる本があればすぐに買って読むということをしてましたが、最近では余程のことがない限り本を買うことをしなくなりました。前回紹介した本、発売されてからしばらくしてネットで紹介されてる記事を見て氣になったけど、1、2ヶ月経ってもまだ氣になるようだったら買って読もうと思っていたのですが、やはり氣になり続けていたので先月Amazonで買いました。著者のお名前と「ガイアの法則」という本の存在は以前から知ってたけど今回初めてこの著者の本を読みました。Amazonのレビューでいろんな人が書いてるように、自分にとってもこの本にいま出会えてほんとに良かったと思えた内容でした。

Amazonのレビューで「本の最後にフィクションですと書かれていてがっかりした」という意見がありますが、個人的推測ですが、フィクションですと書くことにより、より多くの人にこの内容を受け入れてもらうための著者の配慮ではないかと。もしこの内容は事実ですと言われたら、それだけで受け入れられない人がほとんどではないかと。

実際、著者が本の最初の方に…

『私は思春期の頃、自身が大きく変わる体験に出会った。詳しくは後述しようと思うが、それにより、時空を超えたとしか思えない現象を体験するようになった。見えないはずの場所や未来のビジョンが浮かび、後にそれが真実であることを知るという体験が重なるようになった。』

と書かれてあるので、また本全体を読むと2012年の冬至の頃に国内にある、とある縄文遺跡に著者が出向いてそこで実際に受け取ったビジョンを元に、この本が書かれてあるのだとわかります。

ここからは自分の感想を書きます。まず最初のほうに出てくる未来の社会の描写が具体的なイメージが出来て良かったです。争いのない平和でみんなが幸せに暮らしてる社会ってどんなんだろう?って具体的イメージを考えたことは一度や二度どころか、昔からずっと考えてきた事なので、それが今までの自分の想像を超えたイメージの描写が描かれていて、個人的にはそのことにまずグッときました。

そしてそこに住む未来の人が語った言葉…

「我々は、地球の本体から人工的絶縁物で遮断されて生活すること、および、大地から遠く離れた場所に常時就寝することが、身体にも精神にも不安定な作用をもたらす科学的事実を過去に発見した。大地は心身にとって不可欠な直接的作用をもつこと、および、その力を享受するための大地との連関には一定の条件が存在することも発見した。かつて食物や大気に原因があると思われていた多数の難病は、それ以前に大地との交流が遮断されることによる人体の不安定状態が本質にあり、そこに外的要因が結び付くことで生じていることが明らかとなった。この発見により、我々は多くの疾病を著しく減少させた。

またそれは、空間と人間との関係性の解明へと繋がり、夜の暗黒空間が、人間が本来有している自然界との本質的共鳴力に不可欠であることも明らかにさせた。一つの発見が、我々の社会の全体を変えたのである」

「また、この大地と空間の関係性の解明は、存在の本質的統一力を明らかにし、我々の社会そのもののあり方を変革させたのだ」

ここの部分だけでなく本全部を読むと氣がつくのですが、自分達が現代社会の中で暮らしていて様々な問題を解決しようと今いろいろと取り組んでいることは、果たして本当に正しいのか?と一度立ち止まって根本から検討し直すことの必要性を感じます。

Amazonで注文して届いて封を開けてから、結局何十回とこの本を読み返したんですが、こんなに一冊の本を何度も読み返すことは自分にしては珍しく、なぜかというと読み返すたびに本の中に登場する縄文時代の長老の語る言葉から縄文の叡智が滲み出てきて、毎回毎回新しい氣づきに出会うからです。

一番最初の一読目で自分が感じたことは、このブログで「宇宙は愛で出来ていた」シリーズで何度か書いてることと同じようなことをやはり縄文人は知っていたんだということが自分的には嬉しかったです。買って読む前から本のタイトルやサブタイトルから推測して、2019年の春に自分が受け取った答えと同じようなことが書いてあるのでは?と感じていたので。しかもこのことを著者は2012年の冬至にはすでに受け取っていて、本の中にも書かれてありますが、時が満ちるまではこのことを公にしてはならないと縄文時代の長老は語ります。そしてこの本が発売されたのは今年2020年の夏。自分が「宇宙は愛で出来ていた」と題して勇気を出してブログに書いたのも同じ時期だったので、大して世の中に影響力がないブログとは言え、書いた時期は正解だったと(とは言え、アクセス数もそんなにないし影響力がないから何を書いても大丈夫というわけでもないと思います。結局すべては繋がっているので)。

では何故時期が大事なのかというと、その答えは本の中の長老の言葉から理解できます。

「あなた方は今、今までにない節目にある。
 節目は、創造にも破壊にも転ぶものだ。
 それゆえに、時を超えた介入の門も節目には開かれるのだ。
 この介入が活かされるかどうかは、あなた方にかかっている。」

「あせってはならない。
 あなた方は原点に繋がる必要があるが、あなたの体験記の公表には、知識レベルの公表とは異なる意味がある。それは、我々とあなた方とを結ぶという時空の統一を意味する。この結びは、時が満たされるまでは進めてはならない。段階を経ることが必要だからだ。事をせいてはならない。
 この体験について書くべき時が来たらあなたにはそれがわかるだろう。
 それまでは、あなたの体を通し、磁力を通し、人々を育むのだ。
 社会の変革は、たった一点の空間の成立から始まる。
 その一点を確固たるものにするには時が必要だ。
 まだ時は満たされてはいない」

自分のこと振り返ってみても思うのですが、特に2011年の大震災を経てからのこの10年間、実生活でも精神の部分でも、いろいろな段階を経ていくつもの扉を開いて今やっとここまでやってきたという感覚があり、やはり2012年とか2013年などにこの本の内容に出会ったとしても、いまいち理解出来なかったし真から受け入れられなかったと思うので。今、アメリカの大統領選挙もすごい事になっていますが(世界が変わろうとしている)、やはりこの2020年後半の冬至へ向かうまでのタイミングがベストだったんだなと思いました。

…長くなったので、また次回に続きます。

『縄文』についての正しい再認識②

37千年前、この高いエネルギーを持つ日本列島に超感覚的な人々がやって来て、36200年前の頃には宇宙と同じエネルギー構造を持つ超調和的な社会を確立した。中心に樹齢何千年というマザーツリーを抱き、集落は円形状に広がり住居自体も宇宙の構造と同じで真ん中に火があり円形の形をしている。この社会では人間の思考は補助的なものだと捉えられていて、思ったり考えたりすることよりも宇宙エネルギーをいつも体感覚で感じ人間も一つの宇宙であることが重要で、そのことが宇宙と人、自然界や万物や人と人との真の調和をもたらすことことだと知っている。なので子どもへの教育というものも現代社会のような思考を中心とした観念教育ではなく、「ひとかた」と呼ばれる踊りや儀式その他により、宇宙と調和して暮らしていく叡智を親から子へと伝承していく。

 やがて日本列島から大陸に渡る人々があらわれ、その調和的な社会はやがて世界中へと広がっていった。そんな時代が数万年もの長きに渡り続いた。そうこうしているうちに日本列島を離れ長い時を経たあと、一部の人の中で調和的社会の叡智を守り続けることが出来ずに宇宙の中心から離れてしまい、中心を離れてしまった自らのエゴを満たすために人々を支配管理する者があらわれた。調和的社会の叡智を隠蔽改竄し偶像崇拝の宗教と科学による人々への洗脳支配がその時に始まった。

 日本列島では、蝦夷、土蜘、熊襲などと呼ばれる様々な部族が程よい距離を保ちながら平和的に暮らしていたが、弥生時代と呼ばれる3千年ぐらい前に大陸からはそんな宇宙の中心を離れてしまった支配的な人達がやってきた。その人たちが農耕文化と宗教を持ち込み大和朝廷をつくり、この国を日本という国に制定した。そしてその支配管理の流れは現在の2020年へと至る。

ざざっとまとめてみましたが、これが現在の自分の中の歴史認識です。「世界の歴史はすべて日本からはじまってたの!?」って…おそらく万人に受け入れられないと思います。でもこの認識を持つと今まで自分が疑問に思い悩み考え続けて来たことがすべて辻褄が合うのです。日本列島をリヤカーで歩きながら日本各地に封印された謎解きをしながら旅をして感じてたこと(特に東北、北海道)とか、日本列島雛型論とかシュタイナーが頂点は日本ですと言ったこととか日本がなぜ日出ずる国と言われてたかとか日ユ同祖論とかキリストやモーゼのお墓が日本にあることとか。(常識や一般論より、自分がそう感じるという感覚が大事なので)

そして今まさに、かつての古代の縄文の叡智が、3000年間闇に閉ざされていた様々な真のことが光を浴びようとしていることを感じてます。自分が今年に入りこのブログに書いてるような内容に興味がある人に、ぜひ読んで欲しい本を今日はご紹介します。(上に書いた歴史認識の一部をこの本の内容を参考にさせてもらっています)

この本の内容を詳しくご紹介するための記事をまた書きますが、今日はひとまずその本のご紹介を。

0(ゼロ)フォース 1(私)が∞(超私)となる神域(ゾーン)の実在

昨年の春に30年考えて来た問いの答えと一緒に降りてきた歌。

前回のブログ記事で、昨年春に息子が産まれて来てくれたタイミングで、自分の軸はやっぱり音楽だったんだという氣付きと新しい歌の歌詞が降りてきたと書きましたが、今年に入りこのブログで何度も書いている、自分が思春期の頃から長年考えてきた「宇宙ってどうなってるの?」という根源的な問いに対する自分なりの答えが降りて来たのも、この同じタイミングでした。

二年前の冬ごろからフラワーオブライフとか神聖幾何学というものが突然氣になり始め、自分なりに調べたり神聖幾何学の立体造形を綿棒で作ったりしていたのですが、フラワーオブライフからのその流れが昨年の春の自分なりの答えの発見へと繋がっていきました。宇宙とは『中心を抱きながら円形に循環をしているエネルギー』であり、銀河系も太陽系も地球も人間も動物も植物も微生物も、すべては『中心を抱きながら円形に循環をしているエネルギー』である、という答えに。

「すべては一つである。すべては繋がっている。宇宙はすべてがフラクタル(相似形)である。すべては循環している。」という宇宙の法則と言われていることを、それまでは理屈でなんとなく理解していたのが、綿棒で立体造形を作っている時に《宇宙とは中心を抱きながら円形に循環をしているエネルギーだ》とイメージで理解することが出来たのです。

でも果たしてその答えが本当か嘘かそれを証明できるものは何もないのですが、あえて証明するとするなら、同じようなことを言ってる人がいるということと、それに氣付いた時の自分なりの感覚、思考レベルで理解したという次元を超えた魂の奥底が震えるような感覚があったから、とでも言うしかありません。

そしてすぐにでもそのことを誰かに伝えたくなってブログを書こうと思ったんですが、自分のブログに書いたからと言って特に世の中に影響力があるわけでもないのに、なぜか今は書かないほうがいいと直感的に感じその時は書きませんでした。

タイミングをみて自分の直感の声を聴いて、勇気を出しながら『宇宙は愛で出来ていた』と題してブログ記事を書いたのは今年2020年の夏のこと(そんなに世の中に影響力がないブログとは言え、このタイミングで良かったと今では思います)。

その自分なりの宇宙に対するイメージや感覚と言葉が降りてきて昨年春に「うちゅうのはな」という歌が出来ました。ライブでは何回か歌ったことのある曲でYouTubeにはアップしてないですが、現在制作中で今度発売するCDアルバムのタイトルにする予定です。

歌詞だけ先に公開します。この歌詞が平仮名なのも実は理由があって、前回のブログ記事と今回の内容はこれから書こうと思ってる「縄文」の話へと繋がっていきます。

「うちゅうのはな」

まわりてめぐる うちゅうのなかにさくたいりんのはな

まなかにある ひとつのあいすべてのひかり

一二三四五六七八九十

いまここいるひと きづくまのこと

まわるわのなか ひかるまんなか

てらすまわり つながるひかり

つながるいのち つなぐいのち

ひとふたみよいつ むななやここのと あおうえい

いわおとなりひびく ひがたつおとなりひびく

ひふうみよいずる あまのなかのいわどひらく

一二三四五六七八九十

おにもふくも おなじわのなか

まものまことも まわるわのなか

いちからわかれ ひろがりやがて

ほうわしみつる またいちへとかえる

いろかたち ひかりおとなみ はなひらき

まわりてめぐる うちゅうのなかにさくたいりんのはな

まなかにある ひとつのあいすべてのひかり

一二三四五六七八九十