今回の人生で、生まれる前に決めてきた自分の軸は何だったのかが分かった話。

昨年2019年3月のことです。その年の5月4日に二人目の子どもの出産予定日だった奥さんと一人目の娘と三人で自分の両親が現在住んでいる下関市の実家で突然暮らし始めました。

なぜ暮らし始めたのかというと、二人目の子は病院ではなく助産院で産みたくて山口県内では山口市のほうに唯一の助産院があり、現在住んでいる長門市の向津具半島の家からだと高速に乗って車で片道1時間半の距離で、その頃2週間に1回妊婦検診のため山口市に通っていたのですが、出産予定日の約2ヶ月前の3月中旬の検診で切迫早産の可能性があることが分かり、入院をするか設備の揃った大病院近くの家で安静にするかの選択を迫られ、それで大病院が近くにある下関の実家でしばらく暮らすことにしたからなんです。

奥さんは絶対安静でずっと布団に横たわっていないといけないし、お腹の張りが強くなり産気が発生したらすぐに車に乗せて病院に連れて行かないといけないし、車の運転が出来る人間は自分しかいないので、自分も強制的に実家にずっとステイしていなければならない状態になりました。向津具の家にステイするのならば畑仕事や山仕事などやることはたくさんあるし時間を持て余すこともないんですが、下関の実家は町中にあり周りは民家で畑仕事も山仕事も出来る環境ではなく、家族全員の三食を作ることと娘の子守りをすること以外は特にやることもなく時間がたくさんある状況でした。まさに世の中でコロナが起きる前年から一足先にステイホーム体験をすることが出来たのです。

きっと今年コロナでステイホーム中に同じような境遇になった人がたくさんいるのかもしれませんが、自分もそのステイホームの時間はゆっくりと考え事や自分の内とじっくり向き合う時間になりまして、その時に「自分はいったい…何がしたかったんだっけ?」と自分の内を改めてゆっくりと見つめ直してみたんです。

マサーヤンのプロフィールページにも書いてますが、20歳の時にアコースティックギターを手にしてからすぐにオリジナルソングが出来て(自分には才能があると勘違いして?)大学卒業後プロを目指し東京に上京してアルバイトをしながら音楽活動をずっとやってた20代。その後30歳を境にアルバイト生活から脱却するためにフリーランスの自営業者として独立しました(自分の手で飯をきちんと食べられるようになるまでも紆余曲折はありましたが)。

音楽でメジャーレコード会社と契約しようとプロを目指したけど現実の壁に打ち当たりプロにはなれなくて挫折を味わった20代。でも自分の作った歌をどうしてもCDという形にしたくて37歳の時に念願のオリジナルCDを自費で製作しました(CDタイトルはNou life music”農ライフミュージック”)。そうすると今度はその歌をいろんな人に届けたくなってCDをリアカーに積み込み東京から沖縄まで旅をしたのが2009年。

今の世の中でポピュラーミュージックと呼ばれるものは主に西洋音楽をベースにしたものがほとんどで、もちろん自分がやってる音楽もその範疇に含まれるのですが、そこには楽譜という一つの正解があります。いわゆる上手いか下手か、楽譜通りに歌えているか演奏できているか、それは世界中の誰でもがジャッジができる世界です。そういう意味で言うと、子どもの頃からピアノを習っていたわけでもなく、学校の音楽の成績が特に良かったわけでもなく、音楽関係の部活をやっていたわけでもなかった自分には音楽的な才能はないと思ってたんです。

だからプロを目指し音楽活動をやってた20代の頃、レコード会社にデモテープを送ったりオーディションに応募したりする中で、自分でも薄々氣づいているわけですが、やはり周りの人やいろんな人から現実的な厳しい意見を言われるんです。

でも、なぜなのか分からないけど、自分で歌を作りその歌を自分で歌うことが昔からずっとやりたくて、そんな自分の心の奥底にある氣持ちから目を背けること、裏切ることができなくて、今までずっと音楽をやり続けて来たというわけです。

そして昨年の自分の内を見つめ直していたステイホーム期間の間に、時間がたくさんあるものだから久しぶりにオリジナル曲を書いてみようと思い立ったんです。奥さんが出産予定だった下関の総合病院の待合室でボーっと窓の外の景色を眺めながら、これから産まれてくる子どものことと、自分が昔からやりたかったことと、新しい曲のことをずっと考えていました。そのときに降りて来たんです。新しい曲の歌詞と、なぜ自分が音楽的才能はないと氣付きながらも昔から音楽をやり続けてきたのか、その本当の理由が。

今年に入りブログを久々に再開しいろいろと書いてますが、「人生とは?宇宙とは?この世の真実とは?」そういう根源的なことを思春期の頃から考えることが好きで、今ではそれは半分趣味みたいなものだと思っていると書いたことがありますが、それが正に今回の人生の自分の中心を貫くことだと氣づいたんです(なぜ根源的なことが知りたいのか、それを突き詰めるともっと深いところに行き着きますが、その話はまたおいおい)。

答えの分からない根源的なことを考え悩み続け、いろいろな人生経験を重ねたある日にふとその答えに氣付く、そんな瞬間が今までの人生の中で何度かありました。その瞬間の興奮と感動を味わいたくて今まで生きてきた節があります。そして次にはその自分なりの氣付きを誰かに伝えたくなります。自分にとってはその伝える手段、道具として、音楽というものがあったんだと氣づいたんです。伝える手段は音楽だけじゃなく、文章でもいいしアートでもいいし映像でもいいし講演でもいいし何でもいいいんですが、自分の場合は自分で作った歌に言霊をのせて自分の声で歌う、これが長い間、音楽をやり続けてきた理由だったのかとやっと氣づくことが出来たんです。

ただ昔の若い頃は、自分の中にある満たしきれない心の隙間があったので、それを埋めるために有名になりたいとか、すごい人だと思われたいとか、自分の歌で人を変えようとか思っていたところもあるのですが、自分の作った歌を歌うと言っても、あくまでも自分なりの氣付きを周りの人にシェアするというスタンスです(ブログも一緒)。

初めてアコースティックギターを手にした20歳の頃、プロを目指して音楽活動をやり始めた頃、普通は音楽でプロを目指そうとするなら、まず楽器の練習や歌の練習など音楽の技術を高めることをやると思いますが、自分の場合は音楽でプロを目指そうと思った直後に詩集や文学書や哲学書を読み始めることをしました。そんなんだから、いつまで経ってもギターも歌も上手くなりません、笑。自分が好きだったアーティストは歌詞の世界が深い人達ばかりで、どんなに演奏力が凄くてもメロディーがどんなに素晴らしくても、歌詞の世界が深くないアーティストは自分は好きになれなかったんです。音楽でプロになろうと思ったのになぜ自分は本を読み始めたのか、そんなところにも理由があると思います。

昨年、息子が産まれるタイミングでやっぱり自分の軸は音楽だったんだと氣づき(音楽だけれど厳密には音楽ではない)、そうすると今までどうして世の中は世間は自分の音楽を認めてくれないんだろうと不満があったし、やっぱり才能がないんだなと、半分ふて腐れていたのですが、昨年からは今までは100%認められていなかった自分の音楽が大好きになりまして、相変わらず技術的には上手いとは思えないけど、長年やってる間に音楽として人に伝えるための最低限の音楽的技術はそこそこ付いてきてるじゃないか、と自分でも思えるようになったし、まあようするに長い年月を経てようやく自分で自分を認められるようになったんです。今なら自信を持って言えます『自分が自分の音楽の一番のファンです。』と、笑。

今回のブログ記事で、「自分の軸が何だったのかが分かった話」として長年音楽とはこうあるべきだと自分で自分を縛りつけていた自分の例を持ち出して書かせてもらったのは、もしこのブログを読まれてる方で、世の中の常識やこうあるべきという観念に縛られて自分を見失っている人がいるのならば、何かの参考になればと思い書かせてもらいました。

『縄文』についての正しい再認識①

今から約6年半前、2014年3月に当時自分がリアカーで日本一周の旅をしていた時、熊野古道のある紀伊半島南部の地、熊野でメイドイン熊野の衣食住量り売りのお店「木花堂」をやっていた女性と出逢い(出逢った場所は日本最古の神社と言われている花の窟“はなのいわや”神社の前で、社殿はなく大きな巨岩が御神体でイザナミノミコトのお墓と言われている神社)、出逢ってから一週間後に即結婚することになった女性が現在の奥さんのサキエちゃんです。《現在、マサーヤン&サキエという音楽ユニットやってます。→YouTubeチャンネル

この出逢ってから一週間というまさに電撃婚ですが、まるでマンガかドラマのようなことが実際に起こるんだなと当の自分達でもびっくり仰天する出来事だったんですが、お店のお客さんや友達やリアルで会ってる人には詳しい話はするんですが、ブログなどの公の場で結婚に至る出逢いのことを書いたのは実は初めてかもしれません。

出逢ってから結婚を決めるまでのお互いのそこに至るまでのいろんな伏線のストーリーがあって、大嵐が起きたり携帯電話が壊れたりと結婚を決めるまでは旅を先に進めることが全然できなくて(結婚を決めたら先に進めた)、この時の出来事は自分達の意思だけではなく何かの大いなる力が働いたとしか思えなくて、自分で言うのもなんですがこの時の出来事を一冊の本か映画かドラマにするならば、とても面白い物語になるのではないかと(笑)。

まあその出逢いの詳しいストーリーはいつか氣が向いたら何かにまとめることがあるかもしれませんが、とにかく結婚してから約三年間は熊野の地で暮らしていました(奥さんは神奈川出身。お父さんとお祖父さんの故郷が熊野で、お祖父さんの熊野の家で13年間暮らしていた)。

そして熊野と言えば感受性の強い敏感な人なら訪れると分かるその土地の持つパワー。実際パワースポットと呼ばれる磐座や巨木があちこちにたくさんあり、そこまで敏感ではない自分でもそのエネルギーをいつも感じていました。

なんて言うか、古代からの縄文エネルギーをとても感じるのです。その頃から『縄文』というキーワードが自分の中にはずっとありまして。

奥さんと出逢ったのは花の窟神社ですが、同じく社殿のないこれまた巨大な磐座が御神体の丹倉(あかくら)神社という神社が熊野市の山奥にあり(ここで結婚式を挙げました)、この神社が自分達の出逢いから結婚に至るまでの鍵となる重要な場所であり、今でも自分達の心の奥底にはいつもある場所です。

まあとにかく熊野と言えば『縄文』というように、実際、熊野に住んでいる人の間では縄文時代にその土地を治めていたという女性「丹敷戸畔(ニシキトベ)」さんの話が知られており(日本書紀の中では神武天皇の東征の折に殺されてしまう)、先日なんだか氣になって「ニシキトベ」というキーワードで検索をしてみました(ずっと特定の一人物の名前を指すのだと思ってましたが実は30歳以上の子育て経験のある女性がつく役職の名なんだそうで)、そうすると3年前の2017年に『ニシキトベの復活』という本がナチュラルスピリット社から出版されていることを知り、今までは熊野に住むごく一部の人の間でしか知られていなかったニシキトベさんでしたが、今まで隠されていた封印されてきた『縄文』の世界がいよいよと表舞台へと出て来ているのだなということを実感しました。

前々回のブログ記事でご紹介した澤野さんの情報でも言われてましたが、いよいよこれから新しい時代、新しい世界が開けていくにあたり、今までの間違っていた私たち達の『縄文』というものについての正しい再認識がこれから不可欠なのではないかと感じています。

『縄文』について自分の思うことを書き始めようとしたら、結婚の話まで持ち出し前置きが長くなってしまったので、続きはまた次回に。

自分の中の盲点だった事。

昨日のブログで書いた自分の中の盲点の話ですが、それは何だったのかをずばり言います。

むかしから本当の事、この世界の真実を知りたかったので、何事も誰の言うことも既存の権威や組織の言うことも完全には鵜呑みにせず、自分の中にある固定概念を一個一個検証して、自分なりの答えを探して今まで生きて来たのは前回お話ししたとおりです。

例えば政治経済、マスメディア、学校教育、ビジネスの世界、衣食住に関して、農業、医療や病気について…などなど様々な分野について。が、一つだけ疑わなかった分野がありました。それはスピリチュアルの世界のことでした。2003年頃からそういう系の本もたくさん読み勉強して来ました。三次元の目に見える世界だけじゃなく目に見えない世界のことを考えるのも大好きなので。ここが自分の中の盲点だったのです。もちろんスピリチュアルの世界で言われてることをすべて信じて鵜呑みにしてた訳じゃありませんが、自分の概念を検証するという作業を他の分野に比べて怠っていることに氣づいたんです。

もしこの世界を支配管理しようとしてる人(存在)が、このスピリチュアルの世界にも仕掛けを施していたのなら?

スピリチュアルの世界で目指すこと、重要視されてることは、人間の目覚めです。が、人間の目覚めを促し本当のことが書かれていたり説かれてはいるけれど、最後の最後に結局、依存させられてしまうという仕組みが施されているとしたら??

95%は本当のことで5%は嘘が混じっていたらほとんどの人は氣付きませんよね、笑。

だから結局大事なのは、一人一人が本当か嘘か5%の嘘を見極める目を持つこと。このブログで何度も書いてますが、そのためには自分の中心軸をしっかり持っておくこと、中心軸と繋がっておくこと。自分の頭でよく考え勉強して最終的には自分の感覚、直感を信じることなんだろうなだと思います。誰しもの心の中心にある万物創造の意識、真の自分、ハイヤーセルフ、はすべての答えを知っていますから。

で、そんなスピリチュアルの分野で自分の中の固定概念をよく検証してみました。そうすると今年に入って書いたブログ記事で述べた自分の考えをいくつか訂正しなくてはと思いました。

地球が優良星、この世界がミロクの世になるためには、ハードランディングになるにせよソフトランディングになるにせよ自然災害、経済崩壊、食糧危機などの荒事が絶対に避けらけないだろうと思っていました。いろんな本に書かれているしいろんな人が言ってるので。が、人間一人一人の心の中心には万物創造の意識がありその意識と一人一人が繋がるのならば、荒事はあえて起きる必要、体験する必要はないじゃないか、、と思ったんです。

あと、別の記事でこの世界からお金がなくなると書いたことも訂正したくなりました。今の世の中では恐怖や不安の代償、穴埋めの存在としてお金が存在することを否めません。が、実は不安や恐れ不足はなくすべてが満たされていたとみんなが氣付き、お金というものが愛のエネルギー循環が目に見える形として存在するのならば、お金がなくなる必要はないんじゃないかと。これからも愛のエネルギー循環はなくなることはないし、もしろそれは宇宙そのものです。

結局、一人一人がどんな世界で生きるのかを今の意識で選択出来るんだろうと思います。並行宇宙、マルチユニバースですね。100人いれば100通りの宇宙、70億人いれば70億通りの宇宙が。

そういう訳で、自分は荒事を経験する必要のないミロクの世界を今、選択しました。

自分の中の盲点に氣づく情報

自分の青春時代に愛聴し今だに色褪せることないブルーハーツの名曲「情熱の薔薇」の曲の一部にこんな歌詞があります。

見てきたものや聞いたこと
今まで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな氣持ち分かるでしょう?

2020年という今の時代だからこそ、この歌詞が胸に響いて来るのは自分だけでしょうか。人は自分が信じているものを信じたい性質があるので、自分の信じているものを人に否定されると場合によっては怒りだすか、否定して来た人を批判し返して喧嘩になります。

でもその自分が信じて疑いもしない当たり前のことが実は誰かにでっちあげられた嘘でデタラメだったとしたら?

真実の扉を開くことなく嘘やデタラメを信じたまま人間は一生涯を終えてしまいます。

自分はそんなことは嫌だから、本当の事が知りたいから、高校生の頃から数えてもう30数年「この世界の真実は?人生とは?宇宙とは?」そういう根源的なことについて考え続けてきました。10代20代の頃は真剣に悩んでいましたが、40代ともなると自分はこういうことを考えるのが好きなんだと氣付き、いまは趣味のようなものだと思ってます、笑。

だから自分が頭の中で信じて疑わないような事柄を一個一個実体験と知識と直感を交えながら検証し、間違っていると思うならば潔くその考えを捨て去ることをして来ました。そんな頭の柔らかさや柔軟性をとても重要視してきました。

だから「ああそうだったのか〜とか、ああこういうことかも!」という氣づきを得て、自分の中にある閉ざされた扉を今までの人生の中でいくつも開けてきたつもりです(この氣づきを得られた瞬間が快感なんですよ、笑)。

時代がそういうタイミングなのか、昨年春に息子が誕生した頃から今年に入ってコロナが起きそして最近でもそんなことがとても頻繁に起こってます。

そんな自分なんですが先日「ああ〜この扉、疑ったことがなかったなぁ。。」という自分の中の盲点に氣づく情報と出会いまして、それは歴史認識から生まれる盲点した。

歴史は(戦争の)勝者がつくると言いますが、自分たちがむかし学校で教わった日本や世界の歴史、自分もそれは基本的には嘘だと思っていて、実際のところ本当のところどうなっているんだろうと興味があってむかしからよく考えて来た分野の一つです。

その自分の中の盲点に氣づく情報と出会い、今まで点と点だったものが線で繋がった感覚がありました。縄文から弥生、大和へ至る歴史の流れとか、古代イスラエルの失われた10子族のこととか、明治維新から第二次世界大戦、戦後のいくつかの事件のこととか。こういう情報に初めて触れる人にとってはチンプンカンプン、トンデモ話だと思う人が多いかも知れません。

でも自分的にはたくさんの本を読んだりこういうことはむかしからずっとずっと考えて来たことなので、とても腑に落ちたのでした。自分の盲点に氣づきその後考えがどう変わったのかはさておき今日はその情報のリンクを張っておきます。

Blog – intuition – 澤野大樹さん公式サイト

澤野さんの青森講演会を主催されてる方のブログ。澤野さんが講演等で述べられてる内容を詳しくご紹介されています↓
宇宙の中心で愛を叫ぶ。


これからの時代のキーワード「宇宙エネルギーを集める」

2014年4月にアメブロのほうに書いた飯島秀行さんの講演会の内容を転載した記事に、今でもわりとアクセスがあり、興味関心ある方によく読まれているようなんです。↓こちら。

先日、自分も氣になって久しぶりにその内容を読み返してみたんですが、その時は感覚でなんとなく分かった氣になってたのが、6年半経った今、より理屈で理解が出来るようになっていました。

このブログで今年になって何度も宇宙は愛で出来ていたシリーズなどでも書いているように、2014年には難解だと思っていた飯島さんの講演会の内容が、より理屈で理解が出来るようになっているのは、自分の中で「どうやら宇宙はこうなっているのだな」という自分なりの答えを昨年ぐらいから持てるようになったのが大きいと思います。

講演会の冒頭に出てくる、宇宙にたった一つの法則
(X)+(Y)=0  X:作用、Y:反作用、0:法則、神、中性

という公式、今ならよく理解が出来ます。相反するエネルギーが合わさってその中心に宇宙エネルギー(ゼロポイントフィールド)があるということが。

例えば男性エネルギーと女性エネルギーが合わさり生命エネルギーが生まれるなど。あの有名な太極図ですね。

右回り左回りの陰と陽の相反するエネルギーが交わる中心部が大事。これもフラワーオブライフの中心部に宇宙エネルギー(ゼロポイントフィールド)があるという考え方と同じで、結局こういうことが宇宙を表しているのだろうと。

それで氣付いたんですが、以前ブログにも書いた大地の再生の手法で、コンクリートやアスファルトで締め固められ硬くなった大地の再生をするために、周りに穴を掘り必ず炭を入れ、そのあと枝や枯れ葉などの有機物を投入します。同じように土地環境や磁場を整える古代人の叡智の一つ、カタカムナ人の炭素埋設法というものがあり、こちらも土地の四隅に深い穴を掘り同じように炭を入れます。この「炭を入れる」ということが大事なポイントなんだろうと氣づきました。

一般的に炭には水を浄化したり除湿効果や炭の持つ多孔質に微生物が集まり土壌改良などの効果があることで知られていますが、ここからは自分の仮説ですが、炭というのは木や竹などを一度火で燃やしたもので、火のエレメントを持つ物質です。これを土中に入れることにより、大地に降った雨の水と合わさることにより、相反する火のエネルギーと水のエネルギーが合わさりその中に宇宙エネルギーが生まれるのではないかと。生まれるというよりも宇宙エネルギーは空間上に無数にあるものなので「集まってくる」と言ったほうがいいと思います。火を入れてエネルギーを高める(集める)ということで言えば、料理をする時も火を通したほうが美味しくなるし、お風呂も薪の火で沸かした熱いお湯などはより氣持ちが良いものです。

で、このことを理解すると飯島さんの講演会の内容によく書かれてある「圧を高める」ということがよく理解出来ます。空の容器(実際は空ではないですが)に宇宙エネルギーを集めることが圧を高めること。

例えば人間のお腹が空く現象。お腹が空いたら胃袋に隙間が出来るので、水と食べ物を入れて胃袋内の圧を高める。だから現代の栄養学の観点では説明出来ないんですが、実際は水や食べ物が持つ宇宙エネルギーを体内に取り入れて人間その他の動物は生きているんではないかと。食べ物を食べて生きているんじゃなく宇宙エネルギーを集めて生きているとも言えます(人はものを食べる時、陰陽関係の上の歯と下の歯でよく噛むことにより、食べ物のエネルギーをさらに高めている?)。だから何も食べなくても生きていける不食の人が実際にいることも頷けます。

野菜作りの観点からみると見た目が綺麗で大きな野菜が必ずしも体に良いわけではなく、見た目よりも宇宙エネルギーをたくさん持つ野菜を育てることが大事で、飯島さんが「野菜に虫が付くのは、虫がセルモーターの役割をしている」と言ってることも、これも野菜が育つ土中環境に宇宙エネルギー(微生物)が不足しているので、野菜自身に元氣がなく、虫がセルモーターの役割を担ってエンジンを回してる状態なんだと理解できます。だから虫を排除しようと農薬を撒くのではなく、人間がやるべきことは、田んぼや畑に宇宙エネルギー(微生物)をたくさん集めて圧を高めること。後は種を撒いて放っておけば、宇宙エネルギーの力で元氣で美味しくエネルギーたっぷりのお米や野菜が勝手に出来るはず。(こういう視点で自分の田んぼや畑で実験しています)

飯島さんの言う「微生物」を「宇宙エネルギー」に置き換えて、もう一度この講演会の内容を読み返してみると、なるほどな〜と全てが腑におちるので、興味関心ある方にどうぞオススメです。

自分の中心軸を意識して毎日をワクワク楽しく過ごす方法②

以前書いていた自分の中心軸を意識して毎日をワクワク楽しく過ごす方法の続きを、、ようやく書きます(パート①はこちら)。自分の中心軸を意識する方法として自分なりの考えでは、身体的アプローチと精神的アプローチの二つがあり、身体的アプローチでは…

・太陽を浴びる。

・深い呼吸をする。

・有酸素運動、身体を動かす、汗をかく。

・身体を緩め、巡りを良くし、身体の中心を整える(瞑想、ヨガ、自力整体など)

・とにかく笑う。

・大声で歌う。

というものがあると書きました。

一つ目の太陽を浴びる効果はパート①で書かせてもらったので二つ目以降のことについて説明していきます。「深い呼吸をする」について。とかく現代人は呼吸が浅いと言われています。明治以前の昔の人は肚を意識して暮らしていたので現代人よりもずっと深い呼吸をしていました。今は多くの人が胸式呼吸です。これを氣がついたら深い呼吸、腹式呼吸に変えていく。不思議とこれだけで氣分が落ち着きます。多くの人は胸より上の頭のほうに氣が上りがちで、四六時中ワタワタと落ち着かない、睡眠も浅くなりがちです。

人間は呼吸によって大氣中の酸素を吸い込むだけでなく、氣(宇宙エネルギー、プラーナ)を体内に取り込んでいるので、呼吸を深い呼吸、腹式呼吸に変えることによって氣をお腹(丹田)のほうに溜める、そして体の真ん中から全身に氣を巡らすイメージでしょうか。(以前も書きましたが、そのために大事なことはまず出すことです。まず吐くこと。ゆっくりと長い息をお腹から出すことです。)

宇宙に存在するものはすべてフラクタル(相似形)であるという宇宙の法則から、人間の体を地球に例えて考えてみると、毛細血管は大地に生える草木の根で、血液体液は大地をめぐる水です。水は氣(宇宙エネルギー)を運び大地の隅々までめぐらせます。全身に血液を送り出す心臓や内臓器官は地球にとって月ではないかと。月の引力が海の潮の満ち引きを生み出し、地球上の水を循環させるポンプの役割を担っています。考えてみると臓器の漢字の部首は月へんになっていますよね。

では人間の呼吸は地球で考えると何なのか、それは風ではないかと。風は水を運び大気を動かし淀みを撹拌し循環させます。エネルギーの高い場所(イヤシロチ、ゼロポイントフィールド、ゼロ磁場地帯)とは常にたくさんの氣(宇宙エネルギー)が流れ込み循環が起こっている場所で、逆にエネルギーの低い場所(ケガレチ、氣枯れ地)とは氣の流れが滞り停滞している場所です。

人間の体でも同じことが言え、血液や氣の流れが滞った箇所があるとそれが病気の原因になります(自分は専門家ではないので断定はしませんが、あくまで宇宙に存在するものはすべてフラクタルであるという考えから導いてきた仮説ですが)。

そう考えるとですね、やはり日々深い呼吸を意識することにより、全身、手足の先の隅々まで氣(宇宙エネルギー)を送り込み循環をさせることが大切ではないかなと。

深い呼吸を意識することは、いつ何時でも氣づいた時にはいつでもできます。あせったりなんだか氣持ちが落ち着かない、なんかイライラする、そんな時は自分の中心から、ずれている時。そういう時はゆっくりと深い呼吸を意識するだけでいつでも自分の中心に戻れるので、ぜひオススメです。

…やっぱりこのシリーズも長くなりそうなので、パート③へと続きます。

自然栽培によるmy田んぼの稲刈りが始まる。

田んぼの稲刈りが始まりました。以前も書きましたが(→こちら)自分が住んでいる地域(山口県長門市)のまわりの田んぼでは、今年は稲の害虫と言われるウンカの被害が酷いことになってますが、幸い我が家の無肥料無農薬の自然栽培による田んぼはなんとか大丈夫そうです(全体の5%ぐらいの被害)。

わが家の稲刈りは、すべて手作業による手刈りハザがけの天日干しスタイルです。ウンカの第3波被害の可能性がある(東南アジアあたりから飛来して来て稲に卵を産み付け、それが羽化し成虫になったウンカがもう一度卵を産み付けそれが孵る)と友達から聞いたので、収穫するには少しだけ早い状態ですが刈り始めました。

昨年は息子が生まれたばっかりだったのと一昨年は奥さんが妊娠していたのとで、昨年一昨年はすべて自分一人の手作業だったんですが、今年は息子も1歳半と少し成長し奥さんも手伝ってくれての稲刈り作業です。でも作業途中から息子はお腹が空いたのか場所に飽きてきたのか駄々をこね始め、結局自分か奥さんのどちらかが息子を見なくてはならなくなり、人員一人での作業になりました(笑)。いやそれでもすべて一人で作業するのとは違い体もラクで断然スピードも速い。

(現在、5歳の娘と1歳半の息子、二人の子どもの子育て真っ最中でほんとに毎日目まぐるしくバタバタと過ごしていますが、子育てについて自分の持論などもいつか氣が向いたらブログに綴ってみたいと思います。)

稲刈りをすべて手作業でやってるなんて言うと、奇特な人だなとか、ドMですよね?(笑)とか思われがちですが、実は自分なりの考えがあってのことなんです。

今の世の中では田んぼ作業に機械を使うのは当たり前で、大型機械なしでは今の日本の稲作は成り立たないと思いますが、国の食糧自給率もお米だけは100%です(全体では40%)。

でも自給率100%と言っても、機械を動かすガソリン(石油)は、すべて輸入に頼っています。もし何らかの有事が起こり海外からの輸入がすべてストップした際に、機械を動かすガソリンがないのでお米の自給率は100%ではなくなります。そうなるとすべて人力の手作業(または昔のように牛を使う)になってしまうので。

もちろんそんなことは起こらないことを願いますが、何があるか分からない世の中で、人間一人のマンパワーでいったいどれくらいのことが出来るのかを、自分なりに体感として確かめておきたい氣持ちがあり、稲刈りをすべて手作業でやっています。

もちろんそれだけが理由ではなく、青空のもと体を動かすと単純に氣持ちがいいとか、使う道具も鎌だけあればできるしとにかくシンプルでお金もかからないし、家族のレクリエーションにもなるなどの理由もあるのですが。

それともし何らかの有事が起きた際に、自分の家族が一年食べる分のお米なら機械がなくても人力だけでもなんとかなるという事例を今のうちからつくっておきたい氣持ちもあります。

小さな子どもとお年寄りや病気の人以外、元氣な人みんながなんらか農に携わって暮らしていけば、例え機械がなくともこれから世の中に何が起きようとも人力だけで食を自給し十分豊かに暮らしていけるはず。実際、海外の事例だとキューバとかロシアなどもそうやって国民が自分達で食を自給していたので。

…というわけで人力によるお米の収穫作業はもう少しだけ続きます。

結局、人は自分が信じているものの世界を生きている。

ブログを書いてなかった頃は全然そうは思わなかったのに、ブログを書き始めると不思議なことに書きたい内容がどんどんと頭の中に浮かんで来て、最近は書きたい欲求が止まりません(現在、1歳5ヶ月の息子のお昼寝の寝かしつけを家の離れの部屋でやっていて、この息子が寝ている時間がブログを書くのにちょうどいいんです)。

ブログを書き始めたら書きたいことがどんどん出てくる現象って、これって不思議なことではなく宇宙は常に循環しているという宇宙の法則から考えたら合点がいくことで、ブログを書くという行動を自ら起こす、それは自分からエネルギーや波動を出すという行為なので、出せば入ってくるということなのかなと。

考えてみるとこの「出す」という行為はとても大事なことだなあと思うのです。前回ブログで書いたお金の話でもそうですが、ありがとうと良い氣持ちでお金を循環させると良いお金がまた巡ってきます。

人間の体でもそうですよね。とかく現代社会ではテレビの健康食品の通販や、これを食べるのが体に良いという定期的なブームが起きて、やれ〇〇だやれ〇〇をたくさん摂ろうと喧伝され、とにかく食べることばかりがクローズアップされます。

でも多くの人の腸内環境は食品添加物満載、ポストハーベストの小麦過多の食事で悲鳴をあげています。腸内環境は人間の脳と直結してるという話も聞きます。だから食べることよりも先にデトックスというか、「出す」ことが重要だと思うのです。

ブログの文章を書いたり、人に話しをすることなども自分から「出す」という行為ですが、その前には「自分の頭で考えたり自分の心で思う」という行為が必要で、どういうエネルギーや波動を出すかの前提となる、この「自分の頭で考えたり自分の心で思う」ことがまたとても大事なことかなと。

個人的なことを書きますと、この「自分の頭で考える自分の心で思う」ということをずっと昔から人一倍意識して生きてきたつもりです。そのきっかけは今からちょうど30年前の大学一年生の19歳の時に、肺結核とC型肝炎をダブルで患いまして二ヶ月間入院するという出来事が起こり(→マサーヤンの公式サイトにめちゃめちゃ詳しく書いてます)、その時に生と死というものを病院のベッドでとことん考え、その時から『人に何と言われようと、人に何と思われようとも、自分の人生は自分が100%納得できるように生きよう。』と決めて、大学を卒業してからも、訳の分からない常識や世間体や人生とはこうあるべきだという一般論に洗脳されてたまるか、「俺は自分の人生を生きるんだ」と思いながら生きてきました。そのおかげで、今までを振り返ってもなかなか変わったユニークな独特な人生を歩んできたようです、笑。

そんな独特の人生を歩んできたつもりの自分からみると、この社会の洗脳システム(あえてそう言ってしまいますが)ってほんとすごいなあと思うのです。まず学校の教育というものは、答えありきで答えをどれだけ暗記するかで成績の優劣が決まり、自分の頭で答えを考える訓練を全くしません。あと、多くの人はテレビやマスコミの一方的に垂れ流される情報を鵜呑みにし自分の頭で考える余地すらありません。

個人的には2003年からテレビをみるのを止め、それからは世の中の動きを知るためにネットのヤフーニュースなどでニュースだけはチェックしてたんですが、今年の春ごろからネットのニュースをチェックするのもやめました。距離を置いて客観的に世の中のニュースだけはチェックしてたつもりですが、暗いニュースやあからさまに恐怖を煽るニュースに少なからず自分の氣持ちが影響されていたことに氣づき、それからはネットのニュースすらチェックしなくなりました。でもだからと言って現在なんの不自由なことも困ったことありません。あえて氣持ちが暗くなるものや波動の落ちるものを自分から無理してみる必要はなく、自分の氣持ちが明るくなるもの波動のあがるものだけみればいいと最近では思っています。

で、何が言いたいかと言いますと、現代社会に暮らす多くの人(自分も含めて)は、自分の頭で考えているようでいてそうじゃないことがたくさんあるなあということが言いたいのです。量子学的に考えると、自分が信じているものがその人の目の前の現実を創り出しているので、テレビやマスコミの情報を疑いなく信じているのならばその世界を生きることになりますし、自分の考えを持ち自分の感性や感覚とか自分自身を疑いなく信じているならば、その世界を生きることになります。

で個人的には昔から、テレビやマスコミの情報、誰かが言った2次情報、誰かが言ったことをまた聴きした情報、どこの誰が言ったか知らないような3次情報よりも、自分の目で見て自分の手で触って実際の自分の皮膚感覚で感じた1次情報を一番信頼して生きてました(だからこそリヤカーで日本一周歩いたりするのですが、笑)。

さらに、量子学や仏教的に見ればこの世はすべて幻、脳が創り出すバーチャルリアリティなので、自分の目で見たと言ってもそれすら曖昧なこと(笑)。だからましてや情報源の分からない2次3次情報を盲目に信じそれを自分の考えとしてしまうことは、とても残念なこと、もったいないことだなあと。誰しも人間一人一人の心の中心に万物創造の神の意識が宿ると自分では思っているので、人間が心の中で想像することはやがてそれは現実化します。だからそんなすごい力を人間一人一人が秘めているのに、その力を使わないのはもったいないなあと思うのです。

※自分がこういうことをブログに書いたからと言っても、あくまでマサーヤンはこういうことを考えたり思ったり信じているという2次情報ですので、笑。

人は誰もが、お金教の信者。

前回のブログ記事でお金の話が出たので、お金というものについての自分の考え方を書いておきたいと思います。お金というものは何なのかを自分の頭でよ〜く考えることになったきっかけは、何度も書いてますが2003年ごろ自分改造計画を実行してた時に、ロバートキヨサキさんの有名な本「金持ち父さん貧乏父さん」を読んでから。

 それまではお金というものが何なのか自分の頭で考えたことすらなく、ましてや学校で習ったことも当然なく、多くの人と同じように自分の親が持っていたお金というものに対しての考え方をそのまま疑いなく信じていました。

 自分の親がお金に対して持っていた考え方は、どっちかと言うとわりと清貧思想というか、お金は汚いものだから貧しいほど清らかであるという考えでした。そして、お金は楽して稼いじゃいけない汗水垂らして苦労して稼ぐものという考え方でした。だから20代の頃は食うのに困るほどではないですが、お金…なかったですね、笑。

そして2003年の30代前半の頃に「金持ち父さん貧乏父さん」の本を読んで、お金というものは何なのかをそれまで考えたことすらなかったことに衝撃を受けました。それからお金についてのいろんな本を読み、お金とは何なのかを自分なりの頭で考えて、その時に答えは一応出ました。でも人生というものは知識では分かっても、やはり実体験が伴っていないとそれが智慧にならないので、その後の人生のいろんな実体験を経ながらお金というものについて勉強をしてきました。

お金とは何なのかと問われれば、今ならばはっきりと答えられます。それはエネルギーの一つであると。お金自体に良いも悪いもなく、ありがとうと良い氣持ちで循環させてあげればまた良いお金(エネルギー)が入ってくるけれど、不安や恐怖から溜め込むとそのエネルギーは滞ります。それは流れる水は腐らないけど溜まった水は腐敗するように。それが自然(宇宙)の法則なんだと思います。だから幸せなお金持ちの人はそのことを分かっていてそうします。

以前友達がフェイスブックでシェアしてたんですが、どこの記事だったか忘れましたが、「人は誰もがこの世に生まれた瞬間からお金教の信者になる」という内容でした。この記事を読んで、なるほど確かにそうだよなと思ったことがあります。現代社会ではお金が神であり絶対的なものです。世の人の多くの悩み、不安や恐れの原因はお金に起因することがほとんどです。誰もが幸せになるためにもっともっと欲しいとお金に翻弄されています。自分の今までの人生を振り返っても、お金にはほんとにいろいろと勉強をさせてもらいました(笑)。

でもよくよく考えてみたら、お金は神ではなく紙でありモノとモノの交換券です。お金自体には価値がなく、それに価値があるとみんなが思っているから価値があるわけで、「お金がないと生きていけない」とか「お金を稼がずにどうやって食っていくんだ」とか自分も若い頃さんざん周りの人に言われましたが、人はどうやって生きているのかと言えば、水を飲み空気を吸い食べ物を食べ、そして人と人とがつながり、愛と感謝のつながりの中で生きているからなわけで、お金のために経済発展のためにと人間が生きて行くために必要な水と空気と土を汚し、食べ物を産み出してくれる海や川や山などの自然環境を壊してしまってるのは本末転倒ですよね。

でもなんでそうなるのかは分かっています、それは一人一人の人間の中にある得体の知れぬ欠乏感、不足感、恐怖恐れ不安といった満たされない氣持ちがあるから。

時代が変わる大転換期では、それまでの時代の中では絶対的であればあったものほど次の時代では何の価値も持たなくなります。今までの時代では絶対的であったお金というものが次の時代では何の価値も持たなくなる可能性は大いにあると思っていて、でも個人的にはそのことを何も心配していません。

一粒万倍といって、春にまいた一粒のタネが秋には何倍もの実をつける、それが自然界というものです。ほんとにありがたいことに人間が生きていくために必要なものはこの世界の中にはすでに十二分に用意されています。

 得体の知れない不安や恐怖、不足感、欠乏感は一人一人の中にある分離意識が原因で、それを一人一人の中心にある万物創造の愛の意識にみんなが氣づいた時が、この世界はすべてが満たされていたんだとみんなが氣づく時、恐れや不安や恐怖は自分が創りだしていたんだ、そんなものはなかったんだと氣づく時。その時にはお金の価値がゼロになったとしても、もうそれは必要のないものになるでしょう。やはり人類が一つ上のステージに進むために今までのクリアすべき必ず通るべきステージには、お金というものが必要必然であったのだと思います。お金様、今まで本当にどうもありがとう。

…と散々偉そうなことを書きながらも、お金が必要な世界はまだまだ続く可能性もあるので、今現在どうやって現金収入を得て生活して行くかももちろん考えてます、笑。

古い地球から新しい地球へ 〜わが家のライフシフト計画〜

今までも、わが家では田んぼでお米をつくったり畑で野菜をつくったり薪でお風呂を沸かしたり薪で調理をしたり自給自足を意識してやって来たつもりですが、前々回ブログにも書いたように2022年には資本主義が崩壊すると仮定し、じゃあ2022年以降の世界にもスムーズに移行できるようにと、できるだけ今のシステムやお金に依存しないで生活するために、現在の家計の支出を今一度見直してみることを最近やりました。電気水道光熱費、通信費、食費、その他もろもろ現在の家計の一個一個を見直してみて、お金を使わずに自給できるものはないかをもう一度考えてみました。

その中でも自給できそうなものはやはり結構ありまして、味噌、醤油、塩、納豆、卵、魚(本気で釣りにいく)、井戸水雨水利用、太陽光発電、カマドづくりなどその他もろもろまだまだありました。もちろんとは言え現在は現金が必要な世界ですし、それがまだまだ続いていくこともあるので、どうやって現金収入を得るかももちろん考えています。

まあ、これからどんな大変化が起きようと、世の中がこの世界がどのように転ぼうとも、頭の中身だけでなく、実際の生活もスムーズに対応できるようにと、題して『古い地球から新しい地球へ 〜わが家のライフシフト計画〜』というものをつくり、今年中から来年の早いうちまでに実際に実行に移していこうと。以前ブログにも書いた自分改造計画のように、◯◯計画というのがどうやら好きなようですね(笑)。

以前までなら、世の中が激変し食糧危機が来るかもという少なからずの不安や恐怖心から自給自足をやろうと思ってた部分があったんですが、今は不思議と不安や恐怖はまったく無くて、ただただ純粋にワクワクした気持ちがあるだけなんです。自分の中心軸を意識してるからかもしれません。

それで、以前ブログにも書きましたが、卵を自給するため鶏を飼おうと、鶏小屋の建築をいよいよ始めました。以前もご紹介したこちらの本を参考に(→自然卵養鶏法)、5、6羽の鶏を飼うイメージで、大きさは直径2メートルの六角形の小屋を考えてます。

ネットで調べると、イタチなどの小動物が穴を掘って侵入し鶏を襲うことがあるそうで、まずは周りに穴を掘り、ブロックやレンガや石などを埋める作業から。